2007年 07月 15日
みんな一緒に・・
お年寄や障害者の気持を解せない、健常者の驕りだといわれればそれまでですが、正直な感想です。私だってもう若くない年齢となって久しいし、その上にも年々歳をとっているので、これらが本当に正しいのであれば、徐々に快適に感じていってもいい筈ですが、ちっともそうは感じないのはどういうことでしょう?どんどんその割合が増えていくノンステップ式のバス、JR三ノ宮駅のエスカレーターやエレベーターに追いやられた狭い狭い階段、ホームの狭い通路は、これを如実に伝えています。
昨日を最後に、その姿を変えることになったJR灘駅も、その背景にはバリア・フリーの波が押し寄せたということがありましょう。一方で、灘駅そのものが街を北と南に分断しているという問題を解消せんとする目的もあるそうです。これはバリア・フリーというよりも、地域間をボーダーレスにするというべき施策でしょうか。
ことごとく盾突くようですが、私はこのボーダーレスというのもキライです。「駅舎(=南北の改札)が二つの街を分断するから、人やモノの流れが悪い」。確かにこれは一つの事実でしょうが、分けることによってそれぞれの特色というモノがハッキリ出ているのも事実です。このことにいいことはないのでしょうか。譬え多少不便でも、かつてのベルリンの壁ではないのだから、回り道をしさえすれば行き交うことは自由です。
こと灘などという小さな街の話を論うまでもなく、こんな事例が大小ありふれている現代社会ではあります。それでもなお、同じ(になる)こと、隔たりがない(なくなる)ことというのは、ケジメがないと忌み嫌うべきモノだったのではなかったのかと、私は考えるのです。
他方で、浮浪者対策で深夜になると入れなくなる地下道や駅ホーム、喫煙者の隔離(私は大の嫌煙家です)、女性専用車両など、あざといボーダーやバリアはどんどん増殖しているのではないでしょうか。
でも小気味よい。
ワタシは思っていても口に出せない奴ですから。
1枚目、めまいがしそうです。
灘、ということで思い出したり、あ、そうなんだと思ったりしたことが。
灘の西蔵(たぶん)で麦とろ食べたことあります。ずいぶん昔ですが。
灘駅が以外と王子動物園に近いことがわかりました。
阪急に乗り換えなくてもいいや、と。
果して私のいっていることが辛口かどうかは別にして、
私はカレーは辛口しか食べないし、酒も辛口が好きです。
ただ、辛口ビールなんていい加減なことをいう某社のマガイモノもあり、
これは匂いを嗅いだだけでも分るので、絶対に一口たりとも飲みません。
灘駅から王子公園は近いし、動物園までの距離は殆ど変りません。
仰る通り、阪急に乗換える必要など何らないのですが、
それでも阪急に乗換えていっていただきたいと思います。
いわゆるここでいう「地域」が違うからです。
(行われているほとんどの事柄は)ロクデモナイと思っています。
女性専用、みんなにやさしい、ご老人を大切に、世界にひとつだけの花(チト古い)など等、
ロクデモナイ事が増殖しています。
1枚目、強烈ですね。
3枚目は、いろんな季節やシーンが思い浮かびます。
最後は、取り残された時代の残照を感じたり、、、。
御為転しというのでしょうか、それがハナにつくのですね。
私が敢えていったことに加えて、
元(?)・オカマの麻薬常習者、現・盗作者が拵えたという、
自己愛にまみれた聞くに耐えない代物について触れていただいたのは、
私の真意を理解していただけたようで、とても嬉しいです。
ありがとうございます。