2007年 02月 15日
吉祥天・・?
これというのも「毎日更新、出来る限り新撮のイメージで」なんて、自分なりの目標を掲げているからであり、確かに、こんなのもどうなのかと自問しなくもないのですが、私は何事も「愉しいことが一番」だという風にはあまり思えない性質なのです。辛さや怒りや面倒−−この場合でいえば意地のようなものになりましょうか−−などの、どちらかといえば苦難の要素を抱えている方がいいように感じます。
そうでないと逆に没頭出来ないという気がするのです。そもそも、ちっとも面倒や苦難がなければ、きっと写真も撮らないでしょう。何度もいいますが、目的や結果は私の場合、副次的なもので、行為が主なのです。同時に、アレはアレ、コレはコレ、というスイッチの切換があまり効かないという風にもいえるかも知れません。
結局、無駄が多くなりがちな性分だとはいえるでしょうが、いつまでもこんな整理の付かない混沌の中で死に向っていくしかない存在なのだと開き直っています。
後にちょっと気になる物事が詰まっているこんな時は、気分的に昼食すら食べたくなくなります。そんな訳で今日は抜くでしょう。幸い、チョコレートなるものもありますし・・。
尤も、こんなことはしょっちゅうで、「その分、夕方以降のビールが最高に美味しくなるぞ」とだけいい聞かせればOKなのです。食事も飲酒も、生命を維持するためではなく、また満腹や酔いを求める訳ではなく、況してや健康への善悪などどうでもいい訳で、この場合もただその行為が重要なのでしょう。
さて、些か奇を衒い過ぎ、柄にもないことをしでかしては、皆様方の目を剥いた(迷子になって逃げて帰った人も!)昨夜でしたが、その分順送りになったモノをご紹介します。
ほぼ一日降り続けた後の夕刻のほんの一瞬、実に壮大なシーンに巡り遭えました。近郊の方ならお気付きになったことと思います。室内にいても、急に不思議な照返しの色を感じましたから。敢えて1枚に選別せず諄いようですが、果してこの空は不吉か吉祥か・・
慌てて<E-1>と<E-330>の2台を、付いているレンズそのままで持ち出しただけで、焦点距離には特に選択の意図はなかったのですが、こういう場合でも、ZD11-22mmは無意識に14mmの場所に合せて構えた私でした。このズームは、使わない場合でも、大抵14mmの位置に戻すようにしているのですが、どうしても動いてしまうことがあるため、確認しなければなりません。一方、あまり好きになれない画角だけど、<ZD35mm>なら構えるだけでOKなのです。
「なんで要らんことを毎度毎度強いられんとアカンのや!」苛立たしさを感じながらシャッターを切ることが、この1年以上ずっと続いています。こんな苦労だけは、もう真っ平ご免です。冒頭のことばと矛盾するようですが、私のいう苦難とは本来、自分で選び、背負うものです。
OLYMPUSさん、「撮影を楽しむさまざまな機能」(=<SP-550UZ>紹介から)なんて、余計なお世話の押付はこれ以上結構ですから、変に人を苦しめるのだけは止めて下さいな。
なかなかできない事の裏返しであるのは事実ですが、大概において私が愉しいと感じている事柄というのが、端からみるとそうも思えないようでもあります。
どう考えても便利で性能も良く機能性も(ほぼ)文句のないZD14-54の出番が少なく、また自分自身撮影に没頭しにくいという事もその一例かもしれません。
すごい空ですね。
可能な限り夕刻には外を覗くようにしているのですが、ずいぶんとこういった空には出逢っていません。
11-22にしても、これだけの描写ができるのなら、単焦点にするだけでコンパクトで軽量で安くて良い写りの凄いレンズができるのでしょうに、、、と、ボヤキたくもなるというものですね。(-。-
どう見ても夏の雲みたいですが・・・。
敢えて価格には目を瞑りましょう。常識的なサイズで14mmF2なら150K超でも出します(ZD11-22mmをあっさり質に入れて)。
ただ、半端なF2.8でお茶を濁して「はい出したよ」といわれるのは怖いです。
たった一絞りの差ですが1/8が確保出来るか否かで大きな差になるケースはとても多いものです。
ただこういう光景が広がっており、ただワイドがあるから・・という些かのヒネリもない写真ではありますが。
jiseiさんはもっとお好きな焦点距離があるじゃないですか。
そして、きっとjiseiさんの方が“覗き”がお好きなんですよ。