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鞄の中身 かばん の なかみ : 出かける時は、どうも手ぶらじゃダメ…そんな私の鞄には…?

28=そこは僕の場所!

12月28日、丁度クリスマスイヴと元旦の真中の日です・・なんて幾分こじつけたようないい方をしますが−−とても子供じみていて恥しくもあるのですが−−28という数は、私のラッキーナンバーだからです。といっても誰のお告げを受けた訳でもなく、自分で勝手に決めているだけなのですが、それでもそう決めてからかれこれ30年になります。こんな愚かしいことをこれだけの年月続けてくれば、それなりに公言してもいいかと思っています。
私のハンドルネームというか、ユーザー名というのを“yy2828yy”としているのも、ラッキーナンバーである28を重ね、イニシャルのyyで前後から挟んだカタチとしている訳です(いつもニヤニヤヘラヘラしているという自嘲を込めてもいますが)。



私を虜にした28という数字が、ごく少ない「完全数」といわれるものであることを知ったのは、今からせいぜい10年ほど前のことです。「完全数」については、映画化もされた小川洋子氏の『博士の愛した数式』が発表された際にもちょっとした話題にもなりました。しかし、数学がキライだった中学生が、こんな理由でラッキーナンバーを決めたりはしません。コインロッカー、下足箱、傘置きに至るまで、まず28番を探すような変な人間となったのは、ゴクゴク単純な、いや、ほんとうは口にするのも恥しいようなミーハーな理由からでした。

当時の中学生程度のガキが固有の数字に拘るとなると、勘のいい方はもうピンと来られたと思いますが、その通り、ある野球選手の背番号だったのです。そして恐らく、ピンと来られた方は、誰の背番号だったかを同時に思い浮べられたと思います。ところが、きっとそっちの方はハズレているのではないかという、少し淋しい自信が私にはあります。
果して、28の由来とは「伝説のサウスポー・江夏豊氏の阪神時代の背番号」ではなく、新浦壽夫氏の巨人〜三星〜横浜〜ダイエー時代の背番号なのです。氏の活躍については、ここや氏の著作『ぼくと野球と糖尿病』をご覧いただきたいと思いますが、まさに私の青春は、氏を応援することにあったといっても過言ではないでしょう。

私は今なおプロ野球を観るのは好きです。ただし、小学校のごく初期を除いて、一定のチームを応援したことはまずありません。集団というモノがキライだったせいか、好きな選手もいればムシの好かない選手もいるチームというものを一絡げにして盲目的に応援するような気にはなれなかったからです。自分でするわけでもなく、プロのスポーツを観戦するというのは、優れた力を持った選手が競う様を観るのが正当な愉しみ方だと信じているところが私にはあります。だからアマチュアの野球にはあまり興味はありません。いわば、それほど熱狂的にではなく、むしろ冷静に野球を観ているといえるかもしれません。
ただ、新浦氏が活躍していた時、氏の投げる試合を観ている時に限っては別でした。たまたまナイターの放映を観ていて、氏が連続KOを喰らったりすると、「あ、僕がテレビを観るのはいかんのや」と“反省し”、それからはテレビは止め、ラジオに切り換えました。ラジオで打たれると、二度と同じ解説者の時には聞かないようにしました。氏が投げている試合で、相手の打者は誰であれ凡退することを祈りましたし、味方チームの選手でも、チャンスで凡退したり、バックでエラーをしようものなら、譬え天下の王貞治氏にでも罵声を浴せたくなる気持だったのです。まさにキチガイ、そうとしかいいようのない状態だったと思います。氏の投げた試合は全てスコアまで取っていたくらいですし、勝利を挙げた翌日の新聞は出来る限り全て入手しました。
つまり、こういう半ばキチガイのファンが固執した番号ということはお分かりいただけたのではないでしょうか。

三星から帰国し、古巣巨人打線を相手に緩急自在の投球でキリキリ舞いさせた大洋時代にも魅力を感じましたが、やはり私には巨人時代の氏の姿が原体験として強く残っています。甲子園で見た大きな体躯、均整の取れた美しいフォームから繰り出される快速球と大きなカーブで打者を圧倒した姿、打取った後にマウンドを降りて来られる際の、胸を張った威風堂々たる姿。それでいて、打たれる時は大汗をかいていとも簡単に陥落するケースが少なくないこと、このことから蚤の心臓などと揶揄されたこと・・今の選手のように、マスコミに対して能弁に語ることも、観客にサービスをするようなこともありませんでしたが、氏は、マウンド上の所作だけで、一つの投手という人間の縮図を分りやすく体現してくれているようでありました。
ナマイキなことをいうようですが、類稀なる才能を持った人たちが集まるプロ球界の中でも、氏の才能は並外れたモノがあったように感じます。ただ、(病気のこともあったでしょうが)氏はそれを全う出来たタイプであるとはとてもいえず、むしろ無駄遣いをした人だといえるでしょう。だけど、だからこそ、幼稚な心なりに私は氏に惹かれたのだと、今なお確信出来るのです(余談になりますが、きっと桑沢あつお氏の『緑山高校 』も新浦氏あってのマンガだと睨んでいます)。
ただし、今の私に当時のようなキチガイ沙汰が出来るかというと・・完全にムリですね。確かに、今から10数年前に氏が引退するまでは、尋常ではない応援はし続けました。氏が引退をした時は、一つの時代の終りを感じショボッとしましたが、同時に、ほんとうに落ち着いて野球観戦が出来ると実感したことも想い出すからです。その代りに、これからも28という数字には、拘り続けるつもりです。

冒頭にも書きましたが、ただのこじつけではなく、実際に12月28日は私が「年末」ということをハッキリと否応なしに認識する日です。ご用納めが大抵この日だったということにもよるのでしょうが、弛緩と切迫という不思議な感覚が湧き起こる日であります。
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E-500/ ZD11-22mm 1:2.8-3.5

Commented by 九尾 at 2006-12-28 21:51 x
なるほど、HNにはそんな秘密があったのですね!それだけ長い間こだわって来られたのなら、それはもう立派なドラマと言えるのでしょう。歳月の積み重ねほど得難く、また掛け替えのないものはありませんから。

野球は自分もよく見ますが、人の顔と名前を覚えるのが極度に苦手なため選手の見分けが付かず、チームまるごと応援するのが何も考えなくて楽しいなどと言う次第です。(というより、ほとんどの団体競技を見るときもそうですが・・・。)
Commented by M2_pict at 2006-12-29 00:21
28の由来が新浦選手とまでは想像できませんでしたねぇ。
当時あまり野球は好きでなかったので記憶は薄いですが
新浦選手の(抑えても打たれても)真摯な印象の姿は記憶に残っています。

さて、明日も仕事です。
「こだわり」を失わずに先へ行くためにも、きっちり今年を仕上げてきたい、、、(あぁほんとに)(^^;
Commented by yy2828yy at 2006-12-29 05:17
九尾さん、お粗末な種明かしで恐縮です。何時までも物事を引きずるタイプだともいえるでしょうね。
私は記憶力は悪い方ではないのですが、何かの連想付が自分の中で出来ないといけません。そして、何でもないモノを漠然と覚える能力は年々低下していると思います。これはすこし怖いです。
Commented by yy2828yy at 2006-12-29 05:24
M2さん、今日までですか、お疲れさまです。
新年はもう“明々後日”という呼び方が出来る射程に入ってきましたね。
昨日は変に頑張りすぎて、偏頭痛がひどくなり、早々に寝てしまいました。うーん、一年の疲れが・・なんていってられないのですが、何より28にケチを付けてしまって、反省しております。
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by yy2828yy | 2006-12-28 19:24 | ヒト・モノ考 | Comments(4)