鞄の中身 かばん の なかみ : 出かける時は、どうも手ぶらじゃダメ…そんな私の鞄には…?

え!老眼?

眼がとても疲れ易くなっているとの自覚が、昨年辺りからにわかに強くなってきました。
コンピューターを使い始めた頃・・というか、『Sim City』なんかを長時間ぶっ通しにやると、眠ろうと眼を瞑っても、ゲーム画面のビルや渋滞する道の残像が網膜にまで焼き付いていて「ひょっとするとこのまま治らないのでは」と不安になったものですが、今はそんな極端な事をしなくても、直ぐに目が疲れています。『SimCity』に狂ったのはもう15年も前のことで、その間確実に年老いているにしても、眼はやっぱり一番大事なモノだと思っているし、それなりの自信を持ってきたので、いやぁな感じがしています。モノの見え方自体は変っていませんが、利き目がショボショボして涙が出易くなっているようです。



尤も、自分には昨年辺りというだけですぐに思い当る節があります。ただ、認めたくないことなのですが・・つまり、デジタル一眼の導入に伴い、それまで微減傾向にあった写真を撮る機会がグンと増えたことによると思っているのです。
これはある意味いっても仕方がないと半ば納得済のことなのですが、やはりファインダーの小さいことが堪えているのかも知れません。加えて、<ZD11-22mm>に至ってはフォーカスの回転角が不足していることも相俟って、ピント自体が分りにくく、ついつい目を凝らしてしまうため、撮影時はとんでもなく眼圧が上っているような気がします。
その分AFがあるし、撮影の大半を頼っている訳ですから、敢えてはいわないようにしてきました。譬え原因であるとしても、そもそもがこういうことを気にしたり、因果を求めなければならないような現実が、自分にはより大きなモヤモヤであるからです。
困ったことは、カメラでもコンピューターでも使用中は問題がなく、唯一、本を読む際に眼がショボショボするのです。使用後には休めてやれば快復はするようですが、字を読むというのは日常なので閉口している訳です。

こんな具合に些かヘタって来た私の眼ですが、「眼の状態がいい」と感じる時があります。遠くのモノがよく見えるとか、細かなモノがハッキリ見えるということではありません。何気なく歩いていても、自分から視ようという意識がなくても、事物の方からこっちへ飛込んで来てくれるような気がする時です。

私にとっての写真は、特に目的を持って撮りにいくというのではなく、概ねこうした際に気になったモノをカメラに収めるためであり、そして、何度もいいますが、瞬間の行為自体を愉しんでいる訳です。得てして他人には「なんでこんなものを」というような取るに足りない対象が写されていたりします。決してそんな対象をワザワザ撮ろうと探している訳ではなく、むしろバカバカしいともいえるでしょうか。要するに、こういった対象に次々眼が引かれる状態、即ち「眼の状態がいい」といっている訳です。眼より精神的な問題だと思われるかも知れませんが、もちろん自覚はありません。ただ、一ついえることは、こんな時は眼(視線)が何時もに増してせわしなく動いていることでしょうか。そして、次々にまるで映画の挿入シーンのように事物が眼に飛び込んで来るのです・・尤も、私が勝手に「眼の状態がいい」と思い込んでいるだけで、実際は、独りよがりのイメージを粗製乱造しているだけの錯覚なのかも知れませんが。
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E-1/ ZD11-22mm 1:2.8-3.5

by yy2828yy | 2006-12-20 05:32 | ヒト・モノ考 | Comments(0)