2006年 11月 14日
はるかなる銀
そんな晩秋の空に決って映えるのは月・・やたらこの期に印象強く感じてしまうのは、空気が比較的澄んでいるせいだけではなく、感傷が人肌の恋しさを呼ぶ季節だからこそなのかもしれません。月を見上げて嘆息する・・何処で誰が今、同じように見ているのか・・実にセンチメンタルな様ですが、これからの季節をこよなく愛する私も、元アフリカ産のDNAが呻いているのを抑えられないということでしょう。
風景の中の空に、月を入れて撮ることの虚しさは、写真を少し齧った人なら誰しもよくご存じでしょう。蛍光灯で照らしたモノが、実際よりも青黄緑っぽく見えるほどに、眼を写真に矯正されている私ですら、見上げた屋根の上の空に浮ぶお月様はそれなりの大きさに見えるつもりです。ところが、特に広角レンズでは「何、これ汚れ?」程度の大きさにしか月は写ってくれませんし、下手に画面の端に持っていこうものなら、円が楕円になってしまう程度では済みません。
写真が人間の眼の都合の良さに追付けず、結果的にリアルさが表わせない最たる例の一つですが、だからといって、ワザワザ多重露光をしてまで自分のイメージに近づけるというのも、この場合、少し違うような気がするのです。
太陽は、そのものズバリを写さなくても、光や影で十分にその存在を伝えることが出来ます。果して月はどうでしょうか。月光柱(ムンクの絵によく描かれたような)は、すぐに頭に浮びますが、実際にそんなシーンに出会うことの難しさ以上に、“手持でしか撮らない”“じっくり腰を据えて撮ることが苦痛だ”という私自身の問題の方が大きそうです・・
E-500/ ZD11-22mm 1:2.8-3.5