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鞄の中身 かばん の なかみ : 出かける時は、どうも手ぶらじゃダメ…そんな私の鞄には…?

挫けそうな夜のために−その1

1983年9月26日のことを今でもハッキリと覚えています。
大阪・中津の東洋ホテル(現・ラマダホテル大阪)でのOM-4発表会です。
インターネットなど当然なく人々の情報源も限られていた時代に、この10月9日の発売を前にした内覧発表会は、今と較べ物にならない意味を持っていたのでしょう。
夕方から21:00くらいまでの時間だったと記憶しますが、その間中、私は夢中でOM-4を触ってはOLYMPUS社員の方を質問攻めにしていたことを今となっては些か照れ臭い気分で振り返ります。
奇しくもその日は、マルチパターン測光搭載でNikon初のマルチモード機FAが発売になった日でもありましたが(確か)、果して、OM-4はより大きな販売数を狙うよりも、いわば写真とカメラが好きな既存OMユーザーへの解答として生まれたような気がします。
私は大満足で「必ず、何があっても買います!」と会場を後にしたのでした。



OLYMPUSユーザーは当時(も!)しびれを切らしていました。
OM-2の改良型、OM-2Nが旗艦機としてあったものの、Nikon F3、PENTAX LX、Canon NewF-1、(minolta X-1も入れないと叱られますか‥)のファインダー交換が出来る他4大メーカー旗艦機とは価格帯も、そして残念ながら風格も違いました。
そればかりか、より下位機種であるNikon FE2、PENTAX SuperA、minoltaXD、MINOLTA X-700、Canon A-1、AE-1Pなどと比較しても、カタログスペック上では大抵の項目で見劣りするという状態だったのです。
特に、この頃の流行はCanon AE-1Pが火を点けたプログラムAE機能で、やや遅れてきたMINOLTA X-700、PENTAX SuperAが台頭し、丁度当時の私の年齢前後の若者の人気を集めていました。
対する我がOM-2Nは、ベースは1975年のOM-2、つまり既に7年が経過したあまりにもオーソドックスなマシン。
僚機を見回しても、当初はOM-1NとOM-10だけで、他社よりも明かに層の薄い感は如何ともし難いものでした。
そんな中で敢えてOM-2Nを選ぶのは、ネイチャーフォトを志す人か、小さくてしっかりしたカメラを好む人くらいだったのではないでしょうか。
大きなファインダー交換機以外でペンタカバーや底カバーに金属が使われているカメラが、秒間5コマのモータードライブが使えるカメラが、上記の中で何台あるか、またプログラムAEを搭載する機種はシヤッターのタイムラグが大きいという真相等々‥。
もちろん、カタログには派手に表われないものの、OM-2Nには確たるアドバンテージがあったのも事実です。
今も昔もOLYMPUSを選ぶ人はどうやら一風変わって‥いや失礼、違いが分る人であるとしておきましょう。
しかしとにかく、私が初めて一眼レフを手にした、つまりOM-2Nのオーナーになった1981年はminoltaXDとCanonA-1がデビューした後であり、既にOLYMPUSユーザーはヤキモキし始めていた頃だといえるのかもしれません。
価格も熟れてきて当り前の持物の一つになっていたとはいえ、一眼レフカメラはやはり高級品。
今のように2年や3年で買い換えるものではありませんでしたから、次期機種を期待する人などごく限られていたかと思われます。
それでも、所有する機種の不満が次機種で解消されることや、他社の新機能が搭載されることを願ったりするのは今も昔も同じです。
先にも述べたように、当時の情報を得る手段は新聞かカメラ雑誌程度しかありませんでした。
『アサヒカメラ』『カメラ毎日』『日本カメラ』また『写真工業』などの雑誌には、リーク風の記事はまず載りません。
後発である青年向の『カメラマン』、そして『CAPA』が時折「大胆予想」をするくらいだったでしょうか。
私が初めてOM-4(誌面ではOM-3)に期待する特集を見たのは、1982年8月号のCAPA。
後から見れば、スポット測光(マルチスポットではなかった)を予測したのが当っていたくらいでしかないのですが、心躍らせて何度も読み返した記憶があります。
しかし、実際にOM-4の計画が発表されるのは半年以上後の1983年3月のこととなります。
この少し前、1983年のPMAに合わせて、40mmF2、100mmF2、350mmF2.8などの高性能新レンズ群などの発表があり、OMシステムの拡充がなされたのは明かに布石だったのですが、OM-4そのものはカメラショーには参考出品すらされませんでした。
結局、プレス発表用の白黒の写真を悶々と眺める日々がそれからまた半年続き、そして夏、ようやく詳細が明かになり発売日が発表されました。
OM-2Nの性能を基本に、防滴機構、マルチスポット測光と1/2000のシヤッター搭載等々、OM-3とともに新しいモータードライブ、大口径のレンズ群などを携えたその陣容は、OMシステムの新段階という偉容を誇っていました。
そう望んだ人もいたかもしれませんが、OM-4には敢えて流行のプログラムAEもマルチモードも搭載されませんでした。
だからこそ私は、「我が意を得たり」という気持で本当に誇らしかったものです。(この項続く)
挫けそうな夜のために−その1_e0101258_17553642.jpg

E-500/ ZD11-22mm 1:2.8-3.5

Commented by M2_pict at 2006-12-11 09:00
OM-4は素晴らしい機種でした。選んで正解!と思ったものです。
(もっとも、私のOM-4はマイナートラブルが続いて現在オクラ)
特にマルチスポットは対象(被写体)と戯れる時間(とき)を演出してくれていたように思いますし、事実OM-4は私にとってスポット測光専用機でした。
そう、それならOM-3で良かったわけで、、、(汗
Commented by yy2828yy at 2006-12-11 13:05
M2_pictさん、
OM-4の続編に記しましたが、私の2代目はノートラブルです!
時折故障したという例と、ちっともなんともないという例もよく聞きます。
当たり外れが多かったのでしょうか。
とにかく、早く治されないと・・OLYMPUSのSCはダメですかね、やっぱり。

買った当初は普通に中央重点で撮ればいい状況でも、
Spotを使って見当違いの箇所を測り、コケたこと数知れず・・
Spot系の派手さに隠れて、またカタログスペックでも読めませんが、
測光方式がシームレスに切換え可なこのシステムの素晴らしさが、
ほんとうに分ったのはしばらくしてからのことです。
パイオニアなんだから、どうしてE-Systemにも入れないのか、
全くもって解せませんが、せめてE-1には入れるべきでしたね。
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by yy2828yy | 2006-10-17 17:58 | OLYMPUS | Comments(2)