2016年 03月 21日
折合
もちろん、高度な自動化の実現とマニュアル操作の確保を両立させるには、何処かで折合をつけねばならぬ現実も理解しているつもりです。
しかし、自動化がどうでもいい者にとっては、一々が鬱陶しいということになってしまうのも当然かと。
ひいては「状況に応じてマニュアルで自在に」といったところで、絞りやシャッター速度の設定をダイレクト感のないボタンと電子ダイヤルの組合せでゴソゴソやるくらいなら、「基本、オートにお任せします」となりがちなのです。
結局マニュアルの使いどころは極端な値をセットする時−−即ち、開放絞とか、最高速のシャッター速度を選ぶとか−−に限定されてしまうんですね。
こんな具合ですから、飽くまでも「実質、実用」と自らを納得させつつ使用する所以ですが、ふと同様の心持ちで<E-1>や<E-3>を使っていたのを想い出すのであります。
スペックに伴う操作感か、操作を超えたスペックか...
とまれ、このたびのフィルム1本分の撮影を振り返れば、日中に50mmF1.4を絞り開放で使えるのを幾度となく有難く感じました。
f2.8 Auto +1EV FUJICOLOR100 記録用
つい先日、テレビCMで軽自動車のマニュアル車がカッコ良く宣伝されていました。
ハイブリッドや電気自動車ではなく、「マニュアル」。
自動車でいうマニュアルは、主に変速ギヤーの選択という事かと思いますが。
やっぱり、そういう「操作」はあれば楽しいのでしょう。
「極端な値をセットする、、」というのは、自動車ならエンジンブレーキの効かせ具合なんかはマニュアルでないとダメですね。カーブ手前の減速で制動装置に頼らなくとも、ギアチェンジで減速するというのは、マニュアル操作の醍醐味の一つでしょうか。
楽しいという事の反面、操作に緊張感が必要。昨今のオートマチック車の暴走事故を考えると、これくらいの緊張感はもっていた方がいいとも言えますね。
クルマに乗らない私は、よく人がカメラをクルマに擬う(逆も)のがよく分りません。
いや、むしろ、カメラとはクルマのようにあってはいけないと漠然と想っております。
同時に、もし何か乗り物を目指すとすれば、せめて自転車でなければならないと。
かつてSteve Jobsが「Macは知的自転車」といったそうですが、これに近い感じでしょうか。
その点、今のデジタルカメラは間違いなく自動車だと思うのですね。
尤も、手に収まり愛でることのできるカメラと乗り物とを余り同列にしたくない私であります。