2014年 10月 02日
色なき夢
私が子供の頃、こういわれることがままありました。
しかし、私は当り前に色付きでカラーの夢を見続け、今に至っています。
そればかりか、こんな夢まで見たものです。
果して今日、もうキチガイとはいわれないはずだと思いますが、何故、昔は違ったのでしょうか。
本来、現実よりも遥かに野放図であるはずの夢が白黒だけだなんてあり得ないはずなのに、どうしても人は記憶する過程において現実世界の既存メディアに無意識に頼ってしまう(侵されている)からではないでしょうか。
つまり、当時はまだテレビもカラーではなく、写真もモノクロ中心だったから、人の頭の中で繰り広げられる映像世界もモノクロになることが多かったのだろうというのが私の想像です。
35mm/ Program Auto +1EV ILFORD XR2 super400
35mm/ Program Auto -1EV ILFORD XR2 super400
モノクロ写真を見るのは好きでも、私自身が撮影する気にならないのは、このことと少し関係があるように思います。
即ち、写真がたまたまモノクロ、否、色のないカタチで誕生し、そのまま展開する期間が長かったからこそ必要以上に重要視されているだけなんだというのが私の考えなのです。
私はモノクロなんかではなく、常にカラーで世の中を見て感じています。
自身が受け、追っているその世の中は、正確にいえば静止画ではなく動画でしかないのですが、それをカメラという装置で切り取る...私は、ただ、これだけのことで出来上がる現実と虚構の狭間に遊ぶのが愉しいのです。
本当はカラーが望ましかったのになかった時代を経て、今なお結果をB&Wのシンプルな世界に閉じ込めるといったことは、私には「酸っぱい葡萄の話」のように感じられる...なんていえばいい過ぎになりましょうか。
70mm/ Program Auto +1EV ILFORD XR2 super400
モノクロって、子供の頃はテレビも写真も基本はモノクロでしたね。カラーのフィルムが出だしても高いので基本はモノクロだった記憶があります。テレビもモノクロで・・・色が付いたらこんなだろうな~と想像してみてました。そんな意味ではカラーとは違った趣がありますね。斜光が織り成すコントラストが素敵です。私も久しぶりにと思ったしだいです。
私の場合、まず自分の眼がありきです。
よってモノクロというのは、むしろあり得ない世界。
あり得ない世界はより構築し易いのではないかという気はします。
よって、色が分れば面白くないシーンでも、撮るに足りないモノでも、でっち上げ易いような...
葡萄の話、、は詳しくはしりませんでしたが、充分熟されているのではないですか。
私の白黒考は、色のない世界に閉じ込めるのではなく、むしろ色にとらわれない解放のほうかと考えていました。
…みるのは好きでも•••と記されているという事は、見て気持ちが良いという事だと思いますので、これはどういう事かと考えますと、つまり脳での処理が早いという事かと思うのです。人間、危機的な状況になると色情報を処理せずたくさんのシーンを記憶するそうですよ。「事故は一瞬でしたが、景色がスローモーションのようにゆっくり、はっきりと、、、」とよく言われる、あの感じで。
ですから情報の(色の)少ない写真ほど生理的とか本能的に脳みそに浸透するような気がするのです。
それでもやっぱりレンズ個性を考えるとカラーのほうが楽しめるのは理解しております。
はっきりいって、モノクロで撮る方が楽だと思います。
被写体の色についてさほど頓着しなくていいからです。
今回のコスモスでも、カラーなら白だけではなくピンクの花も欲しいところ。
だけどモノクロならどうにか格好がつくわけです。
ただでさえ独りよがりの写真ばかりなのに、これ以上となると良くないとも思います。