鞄の中身 かばん の なかみ : 出かける時は、どうも手ぶらじゃダメ…そんな私の鞄には…?

フィルムを月に1本使うの会:月例12.02&テーマ=廃棄物

このたびのお題、「廃棄物」といういい方に、出題者さまのお心や如何に…としばし考えた次第です。
ことばの語感そのものには、なんだか堅苦しく大仰な感を受けた私ですが、頭に「放射性」をくっつけて考えたわけではありません。
もちろん、広義には「ゴミ」「クズ」という、より身近なことばに置き換えることは可能でしょう。
つまり、物体としては多岐に及び、物質としては無機物、有機物(=食品に代表される生ゴミ、紙屑)ともに包含することになります。
いずれにしろ、今日の遍く人々にとって実に日常的な物事が主題となっていることは確かです。
そんな中で私は、まずマスプロダクト、取り分け工業製品の成れの果てを漠然と想起しました。
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ところでWikipediaは、「廃棄物」を「不要になり廃棄の対象となった物及び既に廃棄された無価物を指す」と定義します。
でも私なら、ここでいう前半の部分「不要になり廃棄の対象となった(なり得る)物」は「廃品、廃物」と捉えます。
よって「既に廃棄された無価物」という後半の部分がむしろ自身のイメージに合うのです。
敢えて自分なりの定義をするならば、「(ある)人が廃することを決め、棄てられた物」ということになりましょうか。

いうまでもなく、これはレトリックの問題ではあるものの、モノを信じて育ち、対する思い入れも過剰なほどにある年代としては、「廃棄」ということばからはモノに対する二重の後ろめたさを感じてしまうわけです。
即ち、ある人がモノを「廃品、廃物」だと決めた上で、「廃棄」に及ぶということであり、私はこの二つの段階それぞれに幾ばくか以上のストレスを感じるのです。
たとえ「廃棄物」になる前提で拵えられた瓶やペットボトルなどの容器であったとしても。
尤も今日では、これらの容器は「リサイクル」という名の下に、単に放棄されなくなっているようではあります。
しかし、リサイクルといったところでリユースとは違います。
過程がわれわれの眼に触れることがない点においても、手放す者の意識としては、やはり「棄てる」により近いのではないでしょうか。
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PEN-F/ F.Zuiko38mm 1:1.8
f4 1/500 Kodak ProFoto XL100

そんなこんなを「ああでもない、こうでもない」と考えた果てに、撮影対象と方法については制限を二つだけ課すことにしました。
一つは、廃棄物ということばから連想しがちな、モノが「汚れた」「潰れた」状態をあからさまに示さないようにするということ。
そしてもう一つは、「寂しい」のはアリでも「情けない」のはナシにするということです。
結局、行き当たったのはご覧のとおりで、「砕かれたガラス瓶」と「在り来たりのペットボトル」という、いわゆるリサイクル対象のモノたちでした。
ガラス瓶の方は「潰れて」いるのですが、先ずガラスとしての美しい光に眼を惹かれて撮ったものです。

悩んだ挙げ句に、お題への提出はペットボトルの方とさせていただきます。
場所はJR灘駅すぐ北の阪急電鉄高架下に交差するようにある歩道橋階段下。
とてもスス汚れたところで、これまでも幾度か撮影の現場となったスポットでもあります。
お題にある「廃棄」にはあまり“マッチ”せず、むしろ「放置」というべきかも知れませんが、その状態と漏れ込む光が印象的でもありました。
“犯人”は、単にゴミ箱がなかったためにこうしたかも知れません。
でも、ほんとうにそれだけなら地面に落としておけばいいのです。
いや、こうしたのは“犯人”以外の者だった可能性も否定はできません‥。
ま、いずれにしろ、誰がやったにしろ、「ワザワザ」でなければこうはならないこととして、少なくとも私は「街の片隅の小さな“ジャンクアート”」として眼を留めたわけですから。
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PEN-F/ F.Zuiko38mm 1:1.8
f2.8 1/250 Kodak ProFoto XL100

by yy2828yy | 2012-03-17 23:33 | Film | Comments(0)