鞄の中身 かばん の なかみ : 出かける時は、どうも手ぶらじゃダメ…そんな私の鞄には…?

ここいらが折り返し‥?

平均的な人生の日数、凡そ3万日。
ちょっと上等なフィルム一眼レフカメラのシャッター耐久回数10万回。
当時、これらのカメラは10万円ほどしましたから、「シャッター1回切るごとに1円か」と思ったものです。
同時に、生まれてから毎日3回ずつシャッターを切って、ほぼ共に逝けるという感覚を持ったことを今も想い出します。
尤も、シャッターがダメになっても交換してもらうという手もあるので、これが即ちカメラの寿命になるわけではありませんが。
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OM-1N/ ZuikoMacro50mm 1:2.0
開放 1/1000 Kodak ProFoto XL100

それでも、1台きりの<OM-2N>をバリバリ使っている頃は、この数値になんとも心細いものを感じたものです。
ちょっとフィルムを数多く使って帰った時などは、その日のレリーズ数で計算し直したりもしました。
しかし、その度に所詮シロートの使用方法では20年やそこらは全く心配がないことを思い知るのでした。

こんなことを気にしていた割に空シャッターはよく切りましたね。
やがて個々のシャッター耐久回数の心配などしなくていいほどにカメラの台数が増えていきました。
もっと耐久性の悪いカメラでも、シャッターをダメにしてしまった経験は未だない私です。

一方で空シャッターを切るのは今なお自身にとって欠かせない行為のようです。
手慰みといえばそれまでですが、ある種のイメージトレーニングとして心身が欲してもいるんでしょう。
果して、10万回のうちどれだけを“カラ撃ち”に費やすのか。
5%?、10%‥それとももっと?
いやしかし、程なくこればかりで老後を費やすことになるというのが、強ち冗談で済まなくなりそうな雲行きなのですが‥。
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OM-1N/ Zuiko40mm 1:2.0
f2.8 1/1000 Kodak ProFoto XL100

そんなことを想う夜に、珠玉の詩、一篇。


私は随分苦労して来た。
それがどうした苦労であつたか、
語らうなぞとはつゆさへ思はぬ。
またその苦労が果して価値の
あつたものかなかつたものか、
そんなことなぞ考へてもみぬ。

とにかく私は苦労して来た。
苦労して来たことであつた!
そして、今、此処、机の前の、
自分を見出すばつかりだ。
じつと手を出し眺めるほどの
ことしか私は出来ないのだ。

   外では今宵、木の葉がそよぐ。
   はるかな気持の、春の宵だ。
   そして私は、静かに死ぬる、
   坐ったまんまで、死んでゆくのだ。


       「わが半生」 中原 中也
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OM-1N/ ZuikoMacro50mm 1:2.0
開放 1/500 Kodak ProFoto XL100

Commented by a-path at 2012-03-11 01:11
確かに珠玉の詩ですね。
添えられた梅の写真の、それぞれ陰のある佇まいがマッチしています。

シャッターを切った後、今の行為に意味が合ったのか、と我に返ることがあります。
こういうのは頭に浮かぶだけで、大抵消えてしまうのですが。
そんなことなぞ考へてもみぬ、というのも近いのでしょうか。
いずれにせよ、価値があるかどうかも事の本質ではないというのは共感します。
そういうものだからこそ、フィルムに留めるのがふさわしいのかもしれません。
Commented by yy2828yy at 2012-03-11 08:53
a-pathさん、
中原中也は昔から敬愛する詩人です。
今なおデスクの脇には詩集を置いています。
彼が亡くなった歳を遙かに超えてしまいましたが。

結果よりも行為といいながら、やはりフィルムを入れて撮らなければ、ただ単にカラ撃ちだけということはできないでしょう。
意味があったのか、なかったのかを結果で確認するというわけではありません。
そこに「その一瞬があったこと」、そして自分が確かに「そこにいたこと」をまさに“留め”たモノを見て、何らかの安心を得るのかもしれません。
by yy2828yy | 2012-03-10 20:19 | Film | Comments(2)