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鞄の中身 かばん の なかみ : 出かける時は、どうも手ぶらじゃダメ…そんな私の鞄には…?

究極のフィルム

「Kodakがカラーリバーサル(ポジ)フィルムをやめる」の報による脱力感から未だに抜け出せない私‥。
しかし「<Kodachrome>がなくなった」時ほどの哀しみはありません。
決して強がりをいっているのではなく、それだけ「Kodakのポジといえば<Kodachrome>」との認識が固着していたせいでしょう。
即ち、これを知った2006年当時、私は今回のようないわば「来るべき日」への諦観を持つに至ったのでした。
それでも、フィルム回帰の際には「これからどのポジフィルムを使うか」に散々悩んだものです。
ようやく選んだ<Ektachrome E100G>がこれからの標準といえそうになってきたところに落ちた今回の“爆弾”。
もちろんこれに凹まぬはずはなく‥。
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OM-1/ Zuiko28mm 1:2.0
f4 1/60 Kodak ProFoto XL100

斯様に「自身の標準とするものがなくなる」のは確かに実利的には痛手です。
しかしながら、このたびの憂鬱は実利とは違うところにあります。
よって今から慌てて<E100G>のストック入手に手を尽くすこともないでしょう。
風前の灯火たるフィルムの現状を考えると、生き存えることに目先の実利が如何ほどに有効なのか‥この期に及んでの愚かしさを想うのです。

敢えていえば、「ネガも白黒もやめるけどリバーサルだけは続ける」方がいいと私は考えていました。
このことは、「もし、他のカラーリバーサルは全てやめて<Kodachrome>だけを続ける」決定をKodakがしていたら‥という6年前の想いの根をひきずってもいるわけです。
「何故ポジか、何故<Kodachrome>か」に関する私の考えなど、所詮はシロートの「たら、れば‥」の範疇を出ないものかも知れませんが、既存のいろいろが如何に共に存えるか‥を一消費者の立場から一つの諦念を基に見てきた自負はあります。

以前にもあっさりと白旗を掲げているように、フィルムはデジタルに対して最早目的たる結果の面で全く相手にならないとしてもらっても、私には何の不平不満も異議もありません。
その上で、私は「目的よりも手段」「結果よりも行為」に重きを置く宣言もしたわけです。
ただそれでも、現像済のフィルムが「オリジナルの実体として残る」事実だけは厳然としてあり続けます。
われわれは手に取ることのできるフィルムという実体に定着した画像を「写真」として確かめることができるわけです。
ネガの場合、人の視覚ではフィルムだけでの完結は不可能で、プリントしてはじめて結果を知ることができます。
「現像、プリントの際にフィルムの性能を一杯まで引っ張り出す」のがネガ、とりわけモノクロの真骨頂かもしれません。
しかし、敢えて乱暴にいえば、同じことはデジタルで、しかも今や“明室”でできるのではないでしょうか。
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OM-1/ Zuiko28mm 1:2.0
f4 1/125 Kodak ProFoto XL100

「撮影後のフィルム、そして現像後のフィルムに一切の手を加えないこと」が「写真」に対する私の定義です(この定義とは西洋で生まれた「Photography」とその展開に対する広いものではなく、それらを日本人が「写真」と呼ぶに至った情緒を置き換えたものとお察し下さい)。
となると、このデジタル社会で「写真」という定義とその中心たるフィルムの自己同一性(?)を厳密に示せるのは、まさにポジフィルムをおいて他にありません。
いい換えれば、ポジフィルムこそが「オリジナルをダイレクトに知覚する」ための究極の手段であり方法だということになります。
KodakもFUJIFILMも、何をおいてもポジフィルムの存続を第一に考えて欲しいと願っていたのは、ひとえにこの理由によるわけです。
そしてFUJIFILMは内式を、Kodakは外式の<Kodachrome>を、という棲み分けで細々と共存することを私は望んでおりました。
「目的よりも手段」「結果よりも行為」を全うするには、フィルムにも筋を通した方がいいのはいうまでもありませんから。

<Kodachrome>の命運が尽きたのは、現像処理に長い日数を要することや、そもそも小型カメラ用のフィルムだったという理由があるでしょう。
ここには「如何に早く結果を見せるか」「画質の点では小さいフォーマットの方からデジタルに追いつかれていく」という当然の公式に基づく実利も看て取れます。
ただ、「デジタルは『写真』といえるか?」という根本命題からすれば、ほんの目先の問題に過ぎないのですが‥。
結果、予想以上に速かったデジタルによる高解像への進歩が、35mm判はおろか、ほぼ同時に中判までも追い抜いてしまうことになります。
Kodakが耐褪色性もずば抜けて優れていた世界唯一の外式カラーリバーサルフィルム<Kodachrome>を見切った時点で、現況に繋がる道がついてしまっていた‥とするのが短絡に過ぎるとは強ち思えないのです。

ま、今となっては、口にするだけでも虚しいこととするしかありません。
Kodakは今後プリント事業などにフォーカスを絞るといわれています。
愛用するネガカラー<ProFotoXL100>が昨年に低価格で登場したのも、ひょっとするとその伏線だったのかも知れません。
縮小した事業の詳細や、どんな成果が目論まれているのかは知る由もありませんが、ほんとうに「フィルム延命」を意図するのなら、結果だけのデジタルの世界と真逆を目指すくらいでなければ、結局は実利や功利の波にまみれ、折角切り詰めたモノまで飲み込まれてしまうだけ‥今までが如実に物語っているのではないでしょうか。
だからこそ私の憂鬱は深く重いとせねばならないのです。
究極のフィルム_e0101258_18553357.jpg
OM-1/ Zuiko28mm 1:2.0
開放 1/15 Kodak ProFoto XL100

Commented by arata at 2012-03-11 01:18 x
プリントは面白いので,深入りしようと思ってますが,写真のはじまりは一発露光のポジ像が原点だと思いますので,このお話は納得せざるを得ません。
Commented by yy2828yy at 2012-03-11 09:01
arata会長、
確かにプリントは別の愉しみがありますね。
その楽しみはジックリと拵え上げていくという方向に指向するでしょう。
一方、ポジはより即時的な快楽を見出す姿勢‥少なくとも私はそうです。
基本的に撮るという行為をした時点が「終り」なのですから。
この差異は撮影する姿勢、ひいては道具(選び方、使い方)にも表れるでしょう。
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by yy2828yy | 2012-03-08 19:08 | Film | Comments(2)