2012年 02月 04日
一瞬の有無
レンジファインダーの明るく自由な視野は圧迫感がなく、構図を整えている時も気持は軽やかです。
その代わり、撮った「その時」を自らがより強く意識しなければなりません。
得た一瞬そのものを見ることができない一眼レフだからこそ、「その時」は否応なく伝わり自身に刻まれます。
対象が結像し露光される間、即ち一眼レフのファインダーが暗転する一瞬とは、瞬間を封じ込めて自らの手にするための、いわば“引替えの儀”ともいえるでしょう。
これがないレンジファインダー機では、ファインダー内のシーンはレリーズとは無縁に、眼前の現実と同じく動き続けています。
f4 1/250 Kodak ProFoto XL100
f5.6 1/250 Kodak ProFoto XL100
静止画というものが、何時動画の単なるキャプチャに成り下ってしまっても不思議ではないこの時代、この状況において、静止させた一瞬について如何に意識するかは決して小さな問題ではないと思うのです。
尤も、このカメラの場合、実に素早いシャッターラグの代償ともいうべくとてつもなく甲高く派手なシャッター音が、否応なく「その時」を脳髄に叩き込んでくれるようではあります。
f16 1/25 Kodak ProFoto XL100
(レンズも高価でちょっと、私には高嶺の花です;;;)
色々機種でカラダを慣れさせるのは、まだまだ、と~おくかかりますゆえ、あれこれ欲しい欲を抑えるのに苦労します(苦笑)
シャッター音が大きいから・・・・マックスウェルずシルバーハンマー??ムフフ^^
なんせ1951年のカメラですから、還暦を超えたところです。
程良い大きさで実にスマートですが、メカオタクが拵えたような感じで、少し余裕がありません。
徹底してLeicaの真逆を行ったというカメラ作りの極めつけが縦走りのシャッターです。
まさにガレージのそれの小型で、そいつがガシャーンとすっ飛ぶように動くわけですから。