2012年 02月 02日
雅を愛でる‥
撮影済のフィルムを取りだした後、しげしげと何らかのOMを眺めながら‥
「なんて美しいんやろう‥、ね、ね、そう思いますよ、ね?」と、私。
「ほんまにカッコいいですね」
(ああ、またかいな‥)と思っておられるに違いないのに、おくびにも出さずに『Nカメラ店』のご主人は相槌を打って下さいます。
たまにフィルムを現像に出すだけ。
寄るたびに長居するだけでも困りものなのに、こんなことに半ば強制的に同意を求められていては‥。
申し訳なく感じるのは、決まって店を出て冷静になってからです。
「ほんまに自慢ばっかりしてしゃあない奴や!」という人は多いでしょう。
ただ、はっきりさせておきたいのは、ちっとも“自慢”などしていないということです。
私はただ素晴らしいカメラを褒めているだけなのですから。
そもそも根が控え目なので(!!)、自らのことを吹聴するのは苦手で厭です。
でも、件の折には嬉々としつつ快感すら得ているのです。
その心は素晴らしい絵画や音楽に触れた時と同様‥何処かでそう信じているからこそ、性懲りもなく同じことを繰り返してしまうのでしょう。
ま、これを「カメラ自慢」というわけですが、かつてカメラがとてつもなく高価だった頃には1つのステイタスとして、まさに自慢というニュアンスは適っていたかとは思います。
しかし、今やカメラなんて単なる携帯電話の一機能です。
一部の機種を除いて、既に当り前となって久しいものといえるでしょう。
だからこそ「カメラを褒める」という意味も純粋に受け取って貰いやすくなったはずだと考えるわけです。
飛躍して「雅を愛でる遊びの一つ」といってもいいかも知れませんよ。
とにかく、かつての高級カメラですら、3年経てば話題にもならないデジタルの普及機よりも遙かに安価に入手できる今日、みなさんもどんどん「ちょっといい気持」を味わってみられては如何でしょうか。
その意味でも、このたびかくなる「雅なる機会」を与えて下さったM2さんには感謝いたします。
いや、元々は「何クソ!」という気持で私がしていることを見るに見兼ねてというところもあったかとは想いますが‥。
毎日触れている“彼女”たちでも、こんな風に対峙すると、単に愛機どうこうといったことを超え、様々な気持に包まれるものです。
OMシリーズ最後の<OM-3Ti>。
他の愛機たちとはある意味違った扱いをしているため、出番も極端に少なくなっています。
そのあたりの理由はこちらやこちらをご覧いただければ‥。
よって『Nカメラ店』のご主人にも未だ同意を求めてはいないのですが、それでも常時スポット測光となるようなカスタマイズをしています。
コレでこられるのは解っていましたが、いやもう正に「正鵠を得る」という感じです。
“ZUIKO”“5.6”“∞”に続き、ペンタ部の頂きのハイライトへと至り、、、いや、すみません(^^;「愛」を感じてしまいます。
そう、どう控えめに言っても「素晴らしい」としか言えません。
また終わってしまっているものだから、なおの事愛でてしまうのだと思います。
仕方のない事ですよね(^^
8日までの間にまだ1、2回は投稿できるでしょうか(笑)
最後の折にはまた改めてご挨拶に寄せていただきますが‥
この<OM-3Ti>を撮った後、無性にフィルムを入れたくなっています。
<OM-4>系統がかなり使い込まれた外装なのは、やはり時間的な問題も大きいということに今さらながら気付いた次第です。