2012年 01月 22日
礼節
数日前に公開されているのでご覧になった方も少なくないでしょう。
私も既に“意地悪く”熟覧させていただきました。
その際に冒頭の嘆きを発したわけですが、宣伝になっては癪だとの想いから敢えて取り上げずにやり過ごしてきました。
だけど「ファン」を旗印にし、またそういった人の入口の体裁を採るのであれば、こんなお粗末以前のシロモノではダメ。
つい先だって「黙って見過ごす」ことを悔いた以上はやっぱりいっておかねば‥と。
いわば渋々で、ちっとも気は進まないのですが。
過去カタログ(スキャンした表紙も汚い!)の孫引きともいうべき内容には何の芯もなく、単なるフワフワとしたイメージに終始しています。
体裁だけを取り繕ったつもりでも、馬脚は露われまくっています。
いわずもがなですが、既にOMの修理を打ち切った今、これだけ大々的にカタログ的なページを拵える底にはガチャポンを出す前の地ならし以外の目的などありっこないのですから。
酷い内容にも関わらず、ひとえにただただカッコいいOMの姿がそれ相応にさせているのが何とも哀しいところです。
それなら黙って、あまりイケてない既存壁紙以上のイメージ集でも拵えてくれればまだ良かったかも知れません。
でもこういった体裁にする限りは、OMの理念は、OMの本質は‥?
これらが何も見えてこないではないですか。
端から較べられるものではないと私は断定します。
OMを紹介するだけで、如何に今が甚だしくダメかが誰にも明らかに分るでしょう。
それどころか、30年先を想っても安心して持ち、使える一眼レフの在り方を見れば、殆どの人は3年も経たずにクズになるモノに大金を払うことを止めるでしょう。
だからそうはできないのかも知れません。
「時代が違う」「デジタルだから」といろんなイイワケもあるでしょう。
こんな私でも現実を鑑みれば全く理解しないわけでもありません。
だだ、拵える側がそれをいってはダメでしょうし、そんな「無理難題の象徴」を掲げることなどなおさらできない筈です。
過去の栄光にすがり、あやかってガチャポンを出す‥このことに百歩譲るとして(そんな資格も権利もありませんが)、少しはそのための姿勢が必要だと私はいいたいのです。
姿勢、即ち礼節といってもいいでしょうか。
今、OMを俯瞰することができる立場にいる(遍く現代に生きる)人間の所業がこれではあんまりだというしかありません。
そして、過去をなめるなよ、と。
目立たないのでクロームよりも出番はずっと多くなります。
レンズはこれまで私の左掌に包まれる時間が最長で、これからもそうあり続けるだろうF2の28mmです。
実はこれは2代目で、初代は使い過ぎてガタのきたピントリングが調整不能となったため今はありません。
5年前、予備のつもりで入手した3代目が日々生じがちな不安を大いに軽減してくれています。
前回のクロームとほぼ同じ具合に撮りましたが、それで画面に綺麗に収まるというのがまさにOMの真髄なのです。