2009年 09月 09日
B&W
私が撮るイメージにはこんなモノが少なくありません。
ただ、私はフィルムの時代からモノクロで撮るということをまずしようとしないのです。これでも一応イロハは教わったのですが・・。
デジタルでよくある「モノクロ化」というのも私はしませんが、これは元より、モノクロのフィルムを装填して、その頭で挑んで得られた「写真」とは似て非なるモノというべきでしょう。
F: 22mm 絞り優先AE: 開放 -0.7EV
F: 22mm 絞り優先AE: 開放 -0.7EV
F: 22mm 絞り優先AE: 開放 -0.7EV
F: 14mm 絞り優先AE: 開放 -0.7EV
何故モノクロがダメなのかと問われると、「撮影後のプロセスに愉しみを見いだせないから」と答えるほかなさそうです。
「撮る」という行為が一番大事な私には、「行為の記録」である撮影結果といえるでしょうか。
F: 22mm 絞り優先AE: 開放 -0.7EV
一応モノクロの目で被写体を捉えているハズですが、モノクロである意味が自分の写真には見出せません
とりあえずデジタルでのモノクロ化は禁じ手として撮り続けてみます
撮影後に効果を加える写真も興味深いですけど、自分の写真ではないなと常々思っているので。
モノクロは撮影後のプロセス抜きには考えにくい感じを受けます。
ただ、モノクロで撮れば、などとはこちらで拝見する写真には全く感じませんよ。
今回も特に4枚目などは嘆息とともに見るしかありません…
また最近(ほんの数本ですが)モノクロフィルムを使ってみた印象として感じたのは、「モノクロフィルムは“現像プロセスも含めて”撮影からプリントまでのトータルプロセスだ」という事です。
自家現像しないモノクロフィルムは、以前撮らなくなった時と同じ印象で、やっぱり半端に思えてしかたありません。
表現としてのモノクロフィルム一連のプロセスと、表現としてのモノクロ「化」とは、似て非なるものだという印象です。良い悪いではなく、です。
以前も一度お話した事ですが、yy2828yyさんは「モノクロでもお上手だろう」という事です(^^
ありがとうございます。
前にも書きましたが、できるだけミニマルな状態でいたい・・
単なるモノグサだからという風に思わなくもないのですが、
よってフィルムの時代もほぼ全てがリバーサルでした。
今回のように南中に近い時間に歩いていると、確かに一瞬色のない世界が見える時があります。
仰せの通り、フィルムでのモノクロとデジタルでのモノクロは全く違うわけで、
フィルムの場合、この世に出現したのがモノクロが先だっただけで、
本来ならカラーが普通でしょうね。
デジタルはこの普通で当り前のことから始まった、と。
今、デジタルが当り前になり、敢えてフィルムを使うとすれば、
モノクロをやらないと意味がない・・という風に思うこの頃です。
ただ、そうなるとやっぱり私は現像や焼き付に愉しみを感じられないんですね。
僕は、あえて様々なことをやってみています。邪道と言われよ
うが、デジタルなのであえて弄り倒してみてやろうと。
すると、やはり弄るにも素材が重要なことに気づかされる今日
この頃です。(爆)
フィルムを知っているあなたです。
そして器用でいらっしゃるからそういうスタンスにも立ち得るのだと拝見しております。
私はとにかく不器用なので、スタイルを確立し、スタンスを決めてかかるしかできません。
露出に関しては、デジタルは楽でもあり、つかみ所がないと思うばかりです。