2018年 06月 23日
ビョーキのジレンマ
もちろん、私がお披露目する側に回ることもままあるわけで。
で、有り難く拝見する際には、まず「フィルム、入ってませんよね?」と確認するのがいわばエチケットです。
それでも、ついついせっついてしまい、フィルムが入っているのにシャッターを切ってしまう場合もたまにあるにはあります。
そんな時は、「いやいや、初撮りなんでフィルムが早く終る方がいいんですよ」などとお互い鷹揚に応えたりしているけれど、いや、実際のところ偽りない本心だったりするのです。
つまり、入手して間もないカメラは余計に弄りたくて弄りたくて仕方がないから...
...なんていうと、「いや、だからフィルムを入れてるんでしょう?」となるかもしれません。
でも、こう仰るのはおそらくビョーキではない方でしょう。
何故なら、ビョーキの者にとって「フィルム装填すること」とは「カメラを自由に弄り倒せなくなること」と同義でもあるといえばお分りいただけるでしょうか。
要するに、フィルムを装填することで、カメラは本来の目的でもって使われる「単なる道具」になってしまうわけです。
このごく当り前の事実によって、カメラ弄りにはフィルム保持に係る制限が加わります。
具体的には裏蓋を開けるなど以ての外、シャッターだって意味なく切れなくなるのです。
各部を作動させたり、その感触を味わうためにカメラを愛撫することに生き甲斐を感じているビョーキの人にとって、これが如何に不自由なことか...。
ただ一方で、ビョーキはビョーキなりに、否、ビョーキだからこそ、新たなカメラを入手したらすぐさまにでもフィルムを装填してサクサク撮り、少しでも早く結果を見たい気持も抑えきれないのです。
それだけに、フィルム1本を撮り終えた時の気分といったら...
...にも関わらず、フィルムを抜き取ったカメラで堰を切ったように空シャッターを切るなど、一頻り弄り回したら、にわかにまた新たなフィルムを装填したくなり、ほどなくそうしてしまう自分がいます。
フィルム1本通した程度では、まだまだ空シャッターを十分切れたとはいえないのに。
開放 Auto +1EV FUJICOLOR100 記録用
>「フィルム装填すること」とは「カメラを自由に弄り倒せなくなること」
大きく頷いてしまいました^^
でも、ただ弄るだけでいいんじゃないんですね。
ちゃんとフィルムが通り、キチンと撮れないといけない。
というか、これが前提であるからこそ、弄り倒す愉しみが云々できるのでしょう。
BRONICA S2 などはフィルムを通さないと空シャッターも切れない恐ろしい仕様な事もあり、テスト用ロールを確保してたりしますが、なかなか背徳感あります。
つまり同意です。
だからこそ2台目が必須となったり...。
これから手に入れることがあれば、やはり前の持ち主がきちんと作動させ、使っていたものを見極めたいものです。
それにしても、最近のデジタルカメラは「感触」を味わえるものがほとんどなく…
135mmF2.8のレンズも今になって存在価値を感じます。
水道の蛇口の実在感と絶妙なボケ具合の背景の描写との呼応に惹かれます。
ちょっとサボっており、返信がおくれてすみません。
フィルムをいれる前に空シャッターをとことん切っておくことは相応に大事なことだと思いますが、なんか癖になるといいましょうか。
その癖のようなものの向こうに気持良さがあるので...
ところで2台目の話は、今回敢えて触れなかったのですが、いや、ちゃんと見透かされていますね。
デジタルにももちろん奥の深さはあるのは分りますが、こちらの究極はメカ的なものをなるべく排除していくのが理想の世界ともいえましょう。
もちろんその先には物の形や存在の問題もあるのでしょうね。
このゴールに私はもう夢も希望も託せないので、こういう楽しみに閉篭もる...でもいいかと。
確かにこれが老いるということなんでしょうが。