2018年 01月 21日
裏腹
一眼レフが初めてのカメラでありながら、長い間標準レンズ1本だけ持てなかったせいもあるのでしょうが、同時にレンズ交換の際にゴミやホコリが入るだろうことを恐れているのです。
ま、いずれにしろ実に恥かしい理由というほかありませんね。
そんな私がここ数年、非一眼レフのレンズ固定式カメラの方をよく使うようになっているのは、結局はこの方が楽だからなのでしょう。
にも関わらず、そんなカメラを鞄の中に潜ませて出掛けた時には、常にいろんなシーンを妄想しては、状況に対応できない不安に駆られていることが多いものです。
一方世間ではレンズ交換式カメラに高倍率のズームを標準装備とするのが当り前になってしまって既に久しいわけですが、これを嗤う私にも実は相応しい機材である...飽くまでも筋だけを通せば立つ理屈だと認めるべきなのかもしれません。
f2 1/500 FUJICOLOR100 記録用
記録か表現かで使い分けるという事でもなさそうですね。
おおまかな記録なら小さいレンズ固定式でいいし、正確に多角的に記録したいなら交換式、なおかつ万能レンズとなりますね。
表現重視なら、なおさら交換式に万能レンズと高性能単レンズ。
大は小を兼ねるなんて、手垢のついたような法則がなりたってしまう感じはします。
飽くまでも気分の問題でしょうね。
また、表現とは、本来、切羽詰まったことから生じるものでありますから、その点においても切り口を選べる便利さが勝るとも限らないでしょう。
カメラなんて所詮は機械であり、誰でも扱えるものです。
不便さを求めるというのも変ですが、何処かで自身の気持の根っこを求める気があるのかもしれません。
切り替えた途端にパチンと切り替わる小気味よさが欲しいところですし、切り替えてしまえばその日はそれで終わりみたいなところはあります。
要は不器用極まりない自身を、たくさんの機材を前に呪うのです。
私が単焦点に拘るのは、カメラならではのフィクションに浸りたいからです。
即ち、ズーミング自在な自らの眼を一つの焦点距離に固定するようにしてしまうこと。
その点、仰るような「撮影前に切り替えるスイッチ」と似た感じともいえましょう。
で、さらにいえば、レンズ交換できないカメラの方が、よりこの感じに徹することができると...