2015年 02月 08日
緩む頬に喝
具体的には「開放で1/500に収まる時でもなるべくF4以上を選んだ」という感じでしょうか。
で、改めて結果のシャープさに驚かされています。
特に、今回も含めてここ数回でアップしたイメージを見るとニンマリを抑えられません。
ただその一方で「ちょっとまずいな」という気持が日増しに大きくなっているような...。
所詮私が撮るモノなんて、このカメラに付いているレンズだけでほぼまかなえるのです。
加えてこの携行性の良さとくれば、「もう他はええか」となり兼ねません。
ニタニタしながらも、努々楽な方に流れぬよう、己にいい聞かせていなければならぬわけであります。
f8 1/100 Kodak GOLD100
f5.6 1/100 Kodak GOLD100
今の季節が私のシーズンではない?事が要因だとは思いますが、ではソレを外したら、、、。
機材の進化によって世界が広がったジャンルなのだと、逆に認識したりします。
写真を撮る道具としては、この類いのカメラで完結していたのかもしれませんね。もはや写真機で「心躍る」はオートフォーカス機構か、デジタル黎明(ソニーのマビカが出た時)の時に終焉を迎えていたと認識していました。
デジタル化について言えば、なにも35ミリ判で大判フィルムの画質を求めたいと思った事はありませんので、まったく陳腐な事でした。
そのうち、画像を拡大していく程、分子や原子まで見えてくるような解像度でも求めているのでしょうか。
しかし、M2さんのご指摘の、世界が広がったという事実はあります。
それは、観察眼的であり、写真表現とは違うところなのですが、
観察眼的な範囲の中でも写真表現をしようとする試みが出てきているような気もします。 これは、フラクタル的な現象なのかもしれません。
もう4本も撮られたのですか!
お気に入りの程度がうかがえます。
二年前にここでご紹介した折にいただいたコメントを思い起こしました。
徒らに運命付けるわけではありませんが、既に道はついていたしたくもなりますね。
一見進歩しているようなことでも、私はどうも疑わしいと思っています。
世界が広がったという気がするけど、得られるものが広がった分、相対的に世界は狭くなり、また自ずと浅くなってしまったのではないでしょうか。
全ては自分の眼で何を認識するか、できるか、だと私は思うのです。