2014年 10月 03日
釣り合い
就中<OM40>はそのイメージが強く、ひいては、ワル(良くない意味ではなく、Formidableといえばいいでしょうか)を想わせるのです。
ブラックボディだけしか用意されなかったという事情もありましょうが、大きくて平たく感じられるペンタカバー部のデザインがその最大要因だと見ています。
さて、そんな<OM40>に<Zuiko200mmF5>を付けてみました。
如何に小型軽量でも<OM-1>や<OM-2N>に付けるとそのインパクトが弱まってしまうこのレンズも、フタケタ機ではまた違って見えるだろうというご指摘をこちらから受けてのことです。
果して...なるほどと大いに納得しつつも、今度は「ボディに対してレンズデザインの品が良過ぎる」と。
開放 Program Auto +1EV ILFORD XR2 super400
開放 Program Auto +1EV ILFORD XR2 super400
開放 1/125 ILFORD XR2 super400
相応なモダンさを狙った二桁シリーズとは、微妙にズレがあるのも仕方なしかと思っています。
他を見渡せば、、、です。
モノクロ、楽しまれているように拝見できます(^^
両者ユニークな存在なのに、OM-1系が突出したユニークさを持っていると感じるのはなぜでしょうか。
会社の子に「父がF3を持っている」という子がおりまして、そのカメラは熊みたいですと言うのです。F3が熊ですよ。あれほどカメラらしいF3が熊ですって。それはともかく、OM-1系の形態はサイズ、形、機能、造りの良さ、操作性、重量、潔さ、フィーリング、どれもグットですが、なんとなく脆弱さを漂わせている哀愁があるような気がします。
10〜40などの見た目のF3にも迫る頑丈さは逞しいのですが、それは愛すべきポイントではありません。愛すべきは「なんとなく脆弱さを漂わせる、、、」というポイントですね。
OM-1と同時に登場した200mmF5が、二桁シリーズはおろか、OM10に付けて使われるなど、流石に想定されてはいなかったでしょう。
ま、今日当たり前のように付けて使っているというところにシステムとしての懐の深さを思うわけです。
ところで、名称の数字の桁だけにとどまらぬハイフンのあるなしにはどのような意図があるんでしょうね。
私的にはシステムの中での位置づけ、はたまたシステムとの関連性の差異を付けているのだと見ています。
フォーミダブルというのは、手強い感じといいましょうか。
飽くまでも触らずに見ただけの印象の話ですが。
そして、その対極にあるのは、まさにOM1,2の華奢な感じであります。
今日、しっかり拵えられていて、壊れにくいのはどっちの方かを知る人は知っているのですが。
ま、黒くてデカイだけのNikonとは、ガキの頃私も思っておりましたので…恥ずかしい限りです。