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鞄の中身 かばん の なかみ : 出かける時は、どうも手ぶらじゃダメ…そんな私の鞄には…?

他力本願

拙blogを始めた折、一つの危機感を認めました。
スティルカメラに入った動画機能が、やがては本来の静止画を飲み込んでしまうであろうこと、そしてそれによって生じる様々な問題...私の場合、とりわけスティルカメラのエッセンスが害われてしまうことに対しての怖れを記したわけです。
最早逃れ得ぬ危機だとの諦観を抱きつつも、やはりイヤなモノはイヤだから、以降も幾度となく触れたつもりです。
それだけ自身にとっては一大事だったからですが、このところ全く触れることもなくなっております。
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いうまでもなく、フィルムに回帰することでデジタルカメラの現状や動向などどうでも良くなってしまったからです。
果してデジタルカメラの世界では、かつて私の危惧したことが次々と現実となっています。
いわゆる4Kムービーからの一コマ切り出しも既に現実の話ですし、Nikonの「キムタク3世」は、手ブレ補正など要らないような「連射による動画作成」を可能としました。
今さらこの「動画と静止画に境界がなくなる」という流れが止まることはないはずです。
しかし、本来ならこれらに絶望を感じるはずの私は、実に冷ややかに見ております。
むしろ「もっともっと!」という気持で祈っているというべきでしょうか。
つまり私は今、デジタルカメラの全機種4K動画対応を望み、それによって「動画からの静止画切り出し」が一般的なこととなるのを期待しているわけです。
決して自棄糞になったからではありませんが、デジタルカメラの将来に対して夢を抱いているわけでもありません。
ただ、今のようなカタチでのカメラはなくなってくれればいい、と。
動画からの静止画切り出しが当り前になれば、未だにフィルム時代を引きずっているカメラは大きく変わる筈。
現在の概念によるカメラというモノはなくなってしまう可能性は高く、私が願っているのはまさにそこなのであります...

...という妄想をしていたら、ここのところの「感度100のフィルムがなくなる恐怖」から気が逸れ、少し楽になりました。
はてさて、私が一体何をいいたいのか、お分かりいただけたでしょうか?
他力本願_e0101258_21484530.jpg
PEN-F/ F.Zuiko38mm 1:1.8
f4 1/60 Kodak GOLD100
Commented by harada at 2014-08-07 23:49 x
的を得ないかもしれませんが、
 フイルム写真とデジタル写真は、もう違う世界のもののように思います。
 フィルムを使うカメラの現行機種は僅か。
 もはやフィルムは過去の名機を使うためのものとして存在していると言えるような気がします。

 画質は小さいコンパクトデジカメでも美しいし、画像加工アプリも優れています。カメラやレンズの性能よりデジタル写真の仕上がりそのものがコダワリどころ。カメラ自体の個性は世代交代するたびにかき消され、、。

 フィルムはカメラの暗箱部、シャッター速度の不均一、レンズの性能とかそのへんの癖をさらけだしてしまうし、それが個性であり味わいで、だから使う機種やレンズに拘るし、いつまでたってもかき消される事なく名機で有り続けるゆえ、所有する意味が大いにあるのだと思うのです。
Commented by M2_pict at 2014-08-08 08:56
私などが下手に考えると禅問答みたいで、、、。

なまじフィルムカメラ風の意匠は消え去ってくれれば良いとは思っています。
今風に言うリスペクトなのかもしれませんが、、、ファッションに過ぎないその意匠は本質的に、、、と、これ以降は自分のトコで吠えるべきですね(^^;

私自身は、動画は撮っても切り出し静止画に“撮る”楽しさは見いだせないと確信しています。
Commented by yy2828yy at 2014-08-08 22:17
haradaさん、
仰るとおりですが、それは道理やモノの違いが分る者の感覚であり分析なんだと思います。
カメラがカメラのカタチをしている限りにおいて、また同じ目的を有する道具である限りにおいて、多くの人は違うところを見ています。
メーカーも然り。
写真−−まぁ静止画といっていいですが−−を純粋に撮れるのはかつてのフィルムだけという世の中になって、どれだけの人がほんとうに気付くか...そんなことを思うわけです。
やがてCDは消えてもレコードは生き残るのと同じようなところですね。
Commented by yy2828yy at 2014-08-08 22:30
M2さん、
動画からの切り出しは目的と効率を鑑みれば至極自然な流れであり、もう抗うことなどできないと思います。
デジタルはひたすら人の眼のメタファーを目指しているのでしょうが、そこには人としての視覚の歴史や感情の相容れるスペースはないと思います。
理詰めからの「撮像素子が全て」というゴールも見えています。
はたまた身体にチップを埋め込むのもアリでしょう。
そこには「愉しさ」なんてモノはないと...少なくとも私はそう決めつけています。
自身とは違う装置というモノの周辺に私の愉悦の対象はあるわけで、最早それは過去のもので充分、否、過去のモノからしか得られない、という決めつけでもあります。
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by yy2828yy | 2014-08-06 21:51 | Film | Comments(4)