2013年 05月 11日
そそくさと...
早く現像に出して結果を見たいのではなく、「撮れる数が残り少ない」ことに気が急かされるといいましょうか。
もちろん、鞄の中には予備フィルムが数本入ってはいるので、撮り切れば入れ替えればいいだけです。
それでも、何時訪れるか分らないシャッターチャンスを想えば(シャッターチャンスに厳密な写真ををさほど撮ってはいないにしても)、フィルムが終りかけというのはそれだけ不利な状況にあると考えることができます。
f4 1/500 Kodak GOLD100
拳銃と弾丸にしばしば喩えられるように、カメラにはフィルムが入っていなければ当然撮れないわけであり、即ちフィルムを交換する時とはスキが生じているといえるでしょう。
「考えていることは分っている...俺が6発撃ったか、まだ5発か...」
私には、かのハリー・キャラハン刑事の名台詞が焼き付いているのかも知れません。
尤も、極端に旧いシロモノでなければ、カメラにはフィルムカウンターという機構が付いているため、撮影数を確認するのは容易であり、キャラハン刑事のように命に関わるような問題でもないのですが...。
f2.8 1/500 Kodak GOLD100
f4 1/500 Kodak GOLD100
f4 1/60 Kodak GOLD100
さて、わが愛する<PEN-F>もしっかりしたフィルムカウンターを有していますが、やはりそこはハーフ判。
枚数は倍撮れてもカウンター文字盤が大きくなるわけでないから、1コマの次のは4、その後は8. 12. 16. .....72という具合に些か大雑把な文字刻印となっています。
そこで問題となるのが72コマ目以降です。
大抵78カットは撮れるのに、カウンターは72で打ち止めとなってしまうからです。
よって72カット以降は、レリーズと巻上の都度「まだ撮れる」「まだ終らない」の間で気持が揺れることになり、これがなんとも落ち着かないのです。
今回のカットはいずれも、ある日の夕刻、駅から「Nカメラ店」までの徒歩凡そ10分間で「撮り終えようとした」フィルム末尾辺りのモノからです。
f4 1/500 Kodak GOLD100
この感覚、よくわかります。
自分でも36枚撮りフィルムの37枚目のコマがそのフィルムでイチバン気に入ったショットだったことは何度もありますし。
小生もその日のうちにフィルムを撮り終えるようにしています。
現像して結果が早く見たいというのもありますが、次の機会のためにカメラを準備完了にしておきたいという気持ちがあるから、というふうに自己分析しています。
次の撮影の機会は、前回の続き(前回のフィルムのコマの続き)ではないから、とでも言うのでしょうか。フィルムが残っていると、そのカメラとフィルムで次の行動に制約が出てしまうような気がして。
いつでも自分(カメラ)を次の新しいチャンスのために準備完了にしておきたい、というのは、どうも、きままな(わがままな)自分のための言い訳かもしれませんね。
ありがとうございます。
そうでしょ、お分りいただけますよね。
特に昔に較べて幾分余分のカットが撮れなくなった近頃のフィルムには、よりプレッシャーを感じるようです。
仰っている、フィルムが変わると撮影対象への気分も変わってしまうというのは、確かにいいわけかもしれません。
でも、そんな気分が愛しいからこそ、私はフィルムを使う、否、フィルムカメラでなければならなくなっているのだと思います。