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鞄の中身 かばん の なかみ : 出かける時は、どうも手ぶらじゃダメ…そんな私の鞄には…?

逆行

あと1週間で「このために一年を生きている」というくらいに好きな12月が訪れます。
1ヶ月先はクリスマス・イヴなのですから!
なのに、昨年あたりからあまり心躍らなくなっている私‥。

元々「年末なんて忙しいだけで何がええのか分からん」という人は少なくないようです。
年始に向けて慌ただしくなる時期・年末、という名残は未だに確としてあります。
だけど、待ち望んだ冬が到来し、一年を振り返りながらコートを着た人たちで街が活気づく時だと信じて育った「平和ボケ無責任世代」の私には、そもそも年末をただの「正月を迎えるための時期」だなんて軽んじたり疎んだりする考えはありません。
年末は年末であり、正月は正月。
それぞれを愛でたいのです。
だから、大晦日、そして元旦を迎えることに対してのケジメは、今なお人一倍持っているつもりだし、そのための行事(大抵が飲み食いに関することですが)にも手間暇を惜しむことはありません。
ただどちらかといえば––「土曜の夜と日曜の朝」ではないですが––始まってしまったモノよりも始まる前の状態を好む性向は強いようですが。
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OM-2N/ Zuiko28mm 1:2.0
f4 Auto -1EV Kodak ProFoto XL100

「ほとんど前を向くことなく、後ろを向いたまま、後ずさりをするように、それでも前方には進んでいる」という生き方を自認してきました。
ここでいう前方とは、難しく肯定否定をする対象ではありません。
其方にある自身の消滅という現実を私はただ想います。
つまり「後ろ向きになる」のは自身で選択できても、「前に進む」のは必然で不可避だということです。
誰しも死へと進むことを止められないのですから、留まろうが、積極的に進もうが、所詮は足し引きゼロ。
「前向きでない」「向上心が見えない」とされるかもしれませんが、こういった考えはごく若い頃からあまり変わらずに抱いているものです。

ふと「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」という文句が浮かびます。
向上心とは、即ち精神的なものだと凡夫は考えるのだけれど、漱石先生は何故にわざわざ「精神的に」を付けたのでしょうか。
激動という意味では現在の比にならない時代のことです。

翻って、かの大津波のもたらしたあまりもの惨事がまだ和らぎもせぬ今。
当初は直接被害を受けなかった人でもパニック的状況に陥った例も多く、アッという間に広まった様々な自主規制をとても苦々しく感じたものです。
私はといえば、改めて無常について考えただけでした。
逡巡といったものだったようにも思います。
間違いなく私は「未来」よりも「過去」を大切にする人間です。
それを一切合切喪ってしまったという事実のとてつもない重みを先ず想いました。
喪失感と言葉にはできても、当事者でない者の理解の範疇を超えたことであり、どれだけ大切にしていてもカタチあるモノは永遠ではないという、いわば当り前のことを噛み締めるばかりでした。
それでも、喪われたからといって、それらが総じていけなかったわけではなく、モノとしての過去はなくなってしまったにしても、多くは肯定できる「良きもの」だったはずです。
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OM-2N/ Zuiko40mm 1:2.0
f2.8 Auto +1.3EV Kodak ProFoto XL100

そんな中、多くの人が口々にした「今まで通りではあかん」という言葉からは、即ち「前を向いてばかりいるからあかんかった」という自省と受け取ったものです。
そして、後ろを向かないまでも、留まろうとする人が少しは増えるのかと微かに希望もしました。
ところが‥今の世の様々を見ても、ちっとも変わってはいないように感じているのは私だけでしょうか。
新聞でも、流れる音楽の歌詞にしても、「前を向いて進もう」といった意味の言葉が氾濫し続けています。
振り向くべき「過去」を喪ってしまった人たちへのメッセージであることも理解はします。
しかし、この傾向そのものは、閉塞感の裏返しとして、既に津波以前から確としてあったはず。
だから、却ってこれまで以上にあふれるようなった「前向きに」「立ち止まらずに」「振り返らない」を見聞する度に私は息苦しさを覚えるのです。

上でもいった通り、人生は放っておいても前に進まなければならないような仕組みとなっています。
これは人間というある種特殊なイキモノの営みに限ったものではなく、あらゆる存在の宿命であり、時というものがもたらす現実であります。
それでもなお、動きさえすれば、閉塞や停滞が打破できるのでしょうか。
そう考えてしまうこと自体に私はむしろ傲慢を感じないではいられません。
「ガムシャラに前上方」を目指すだけが美徳でしょうか。
「ある種特殊なイキモノ」になったのはこんなことのためだったのでしょうか。
逆に、後ろを向くこと、留まろうとすることの方が人間のアイデンティティーとして相応しいのだというのは屁理屈なんだろうか、とも。

「子供より親が大事、と思いたい」
かたや太宰の一節を呟きながら前向きの空元気が支配する街を漂っても、薄めた悪酒を呑まされた翌日の如く、軽い目眩に偏頭痛を覚えるのが関の山。
最早私は、後ずさりすらイヤになり、緩やかな動きを留めたくなっているだけでなく、改めて見据えた後ろに逆行したくなっているのかも知れません。
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OM-2N/ Zuiko28mm 1:2.0
開放 Auto +1EV UXi Super200

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by yy2828yy | 2011-11-24 21:46 | Film | Comments(0)