2011年 10月 01日
レンズの役割
それでも個人的には、400よりも25が重要だと思っています。
いいとこ取り、なんでもありのデジタルとは違い、まさに物質たるフィルムは、飽くまでもその上での粒状性と画質に注力すべきものでしょう。
つまり、低感度の方に全ての技術を注いでおけば、高感度の方は増感で対処するなどでも、そこそこの結果は得られるはずだということです。
f4 1/250 (ND4) Solaris200
私の基本となる機材環境を鑑みれば、感度100でも常用には少し高めに過ぎ、50あたりが妥当というところでしょうか。
普通の晴天時に感度50のフィルムを使えば、シャッターの最高速が1/1000のカメラで、なんとかF2.8の絞りが使えます。
1/2000搭載機なら、愛用のZuikoF2レンズ群をフルに活用できることになります。
という私の主張には「やっぱり基準は100くらいでないと夕方や曇りだと制約が多すぎる」という人が少なくありませんが、それは論点が違うというものです。
何故なら、そもそもデイライトタイプのフィルムなのですから。
基準はいわゆる晴天南中時辺りに置くべきであり、「夕方になった時」や「曇りの時」などという想定を持ち出して比較すること自体間違っているというか、適当ではないということになるからです。
ま、飽くまでこれは原理的な話であり、厳密な色温度などを重視している私ではありませんし、歴とした標準が感度100であることも充分弁えており、今さら反対をするつもりはありません。
実際、感度100で多少の不便を感じることは稀で、さしたる不満はなかったものです。
f5.6 1/100 (ND4) Solaris200
ところが近頃、「シャッターの最高速が1/500で当り前」なんてカメラを多用するようになり、一気に不満が爆発しそうになりました。
1/500で精一杯というのは、時代的に技術が及ばなかったというよりも、カメラの機構上難しかったというべきであり、その状況は今なお変っていません。
変ったのは、50年前当時はなかった感度400のカラーフィルムが当り前になった反面、100以下の感度のフィルムが殆どなくなってしまっているということです。
「物質的なモノには絶対などない」とは、カメラの形式、機構においてもいえるはずなのに、フォーカルプレーンシャッター搭載の一眼レフを万能とし、それを基準とする風潮が招いた結果というべきでしょう。
このあおりを、まさに私は喰らったわけですが、ないものねだりをしてフテ腐れなくても、実に簡単な解決策はありました。
NDフィルターを付ければいいのです。
救う神あり‥いや、やはり「絶対」などなかったというべきでしょう。
一眼レフ形式でないカメラにとっては、レンズとは純粋にフィルムに光を導く口。
その前に減光フィルターを付けっぱなしにしたところで、ファインダーが暗くなることなどあり得ません。
かくして、<MD4>や<ND8>を付けっぱなしにした<OLYMPUS 35K>や<BEAUTY 35Super>は、低感度フィルムなしでも、場合によっては速度1/2000以上のシャッターを有するカメラとして、バリバリと使えるようになったのであります。
そして“彼女”たちによるネガには、決して一眼レフが万能、全能でないことを示すような画が結像しているのです。
開放 1/500 (ND4) Solaris200