2011年 08月 22日
光は左から
いわゆる「フェルメールの光」といいましょうか。
光そのものは、室内の奥に行くほど減光し、微かになりつつ、事物が受け、また反射する様は実に微妙で複雑です。
あるものに対しては弾け、あるものに対しては静かに沁み込んでいく、こんな光を少し離れた位置から見ているのが好きです。
f4 1/125 Kodak ProFoto XL100
冒頭で「左から」と書きましたが、本質は「右から」でも同じことであり、光とその作用から受ける心地よさは変わらないはずだと思います。
ただ、長年の人間の習慣が左を選択させ続け、何時しかセオリーとなった中で、私もごく当り前のように左からの光に呼応してしまっているわけです。
即ち、人間は太古から右利きが多数派であり、これによって生じる様々な便宜や合理から無縁ではないライティングに則っているのです。
しかし、となると、日本人(もしくは、文字を右から左に縦書きをする民族)の場合、これらのセオリーからフリーになり易い要素を持っているのではないか、と。
そして、実は左利きこそが縦書き文化を合理付ける存在だった…なんてことはいえないでしょうか。
多くの場において縦書きをすることが極端に減った今となっては、単なる妄想遊びの範疇を出るものではありません。
いや、そればかりか、かくなる電脳環境での文字や画像との付き合いにおいては、「手暗がり」ということばなんてほぼ死語、光そのものも「左から」や「右から」でなく、「透けた向こう側」からやってくるのです。
とまれ、時折頭を過ぎることではあります。
f2 1/125 Kodak ProFoto XL100
室内に入り込む光は様々に思えますが、やわらかい雰囲気をおさめるのは、というか、写しこむのは難しく感じます。
yy2828yyさんのお写真は、いつも、そういった雰囲気をサラリと表わしておられるようで・・・・羨ましい^^
暑いのでジッとしておられるのかな、と思っておりました。
かくいう私も撮影数は確実に減っています。
デジタルはどうでもいいですが、フィルムカメラだと汗だらけで弄るのが申し訳ないのもあります。
2枚目は恐らくお好きであろう新開地の某所です。