2011年 01月 21日
悴む元が…
手袋の類はまさに隔靴掻痒感がイヤですることがないため、このところの気温くらいになると、カメラを手にして少し歩くだけですぐに指先に堪えてきます。
かくして、手袋をするのとは違った意味で感覚が鈍くなってしまうわけです。
零下の雪吹雪の中でこれを続けていると、恐らく凍てついてしまって大変なことになるでしょうが、ここら辺りの近頃の冬なら、それでもなお我慢してセカセカ歩いていると、軀が温まって行くのに伴い、指先にも血流が行くようになるのを感じるものです。
f5.6 Auto Solaris200
そうなり始めると、ひたすら冷たかったカメラやレンズも徐々に体温に歩み寄ってきてくれます。
一心同体となりつつあるようで、なんだか嬉しさすら感じるわけですが、そんな気分が味わえるのはほんの束の間、やがてすぐに手が湿り始めるのです。
そんな掌でカメラを包むようにしているのは、真夏に汗でベタベタになった状態で持っているのと同じことなので、渋々持ち方や持ち手を変えなければならなくなります。
こうしてみると、暑い寒いという極端な状況に限らず、長い間手に持って歩くには、やっぱりプラスティックの方がいいのかもしれませんね。
開放 Auto Solaris200
ただこちらの場合、冬場に素手で金属を掴むというのは、流石にキツイです。私も手袋の類はしないので、E-1を持って冬に出歩くのは、手表面を痛めつけるだけです。
しかも、直ぐボディから冷たさが伝わってきて、写真を撮るどころではありません(汗
ただ、最近のエンジニアリングプラスチックも、なかなかいいものがあると思います。
ただ、外装ではフィニッシュに気を遣わないと、なんとも間抜けなプロダクトが出来上がってしまいます…
まぁ、あの金属のボディというのは、最早もう製造不可能な、喪われた技によるものだと思います。
今の技術によって複製可能かどうかなどという理屈の話ではありません。
各社が当たり前に拵えていたという時代、その事実の大きさを感じるばかりです。
小手先の問題しかない今あるモノとは一線を画して考えるべきでしょう。
冷たくてもOMを手にくるむようにして歩くと、それが少し分かるという話です。
今(冬ですし)思えば、E-330は冬場に使い易いカメラでした。
プラボディというのは基本が「ナンデモアリ」だともいえると思います。その造形の自在さをいかに活かすかが、工業デザイナーに示された命題だと言えます。そのひとつの典型がT-90だったと思いますし、ちょっと前のAppleの製品群だったように思います。ただ、、、あまりに易しい素材な為、それを使う側が“つい”ルーズに接してしてしまうような、、、。
金属を使う場合、そこには技術者と素材のぶつかり合いがあります。どこかに折り合いを付けながらでなければ思うような造形は作り出せません。そして出来たモノと使うヒトとの間にも、どこか馴れ合わない距離感があるというか、、、。
冬の冷たい金属ボディ、エッジが衣服にひっかかり解れたり、他のものを傷つけたり。でも、使う上でそれなりの設えを要求される事は、それほど嫌なことでもない私でした。
私も基本的にはそうなのですが、例外もあります。
しかし、やがては殆ど使わなくなるというのがおきまりのパターンです。
仰る通りだと思います。
プラスティックはなんでもあり、というのを明快に示したのは、AFの時代に敢えて登場したような<T-90>でした。
そのとがった感じは(角は丸いけど)、今のデジタル以上でしたね。
そもそもかの会社は早くからプラスティックに前向きで、<AE-1>に始まり、やがては10万円近くもする<A-1>まで殆どがそうでした。
だから私はかの会社が嫌いなのだと思います。
人が機械や道具に一定の折り合いを付けるべきだというのが私の考えだし、これこそが現実だからです。
そうじゃないということを謳い、想わせるのはお為ごかしに感じられるわけですね。