2009年 05月 06日
追想
「その人が滅しても、拵えたものは残るから、芸術家は羨ましい」などと勝手に考えることはよくあります。
しかし、作品ではなく作者が貴いのだということを、このたび、今更のように思い知るばかりです。
作品とは、縦い得てして独り歩きし、ある意味社会に還元されるものだとしても、その前にはそれを作った人がいたという事実を蔑ろにはできません。
だからこそ、残った人が後世に伝えようとするし、その使命を託されるのだと思います。
F: 14mm プログラムAE -0.7EV
F: 22mm プログラムAE -0.7EV
F: 22mm プログラムAE -0.7EV
F: 22mm プログラムAE -0.7EV
F: 14mm プログラムAE -0.7EV
形ある作品はとてもわかりやすいもの・・・だと思いますが
形のない思想や思い、などは受け止めた人の中にのみ存在するんですよね。
それをどう受け止めるか、またどう伝えていくかはその人次第であると。
良いにせよ悪いにせよ、沢山の人に影響を与える事ってとても凄いことだと思います。
そして共感を沢山の人にしてもらえることはとても喜ばしいことなんだと考えます。
あぁ、支離滅裂な文章で申し訳ありません。
ただ、yy2828yyさんのエントリからこんな発想をした奴がいるって事を伝えたかったのでした。
長文申し訳ないです。
作品という作品のほとんどが、自分としては当時「ド真ん中」すぎて、
気恥ずかしさを覚えてたのかもしれません。
ただ不思議なくらい記憶に残っていて、
「あぁ、ずっと横目で追いかけていたんだ」などと思った昨今です。
これはたぶん作品ではなく、あの人そのものの事だと思い至った次第です。
E~!
どうも沖田浩之です。
自分の場合、背伸びがしたくなった小学高学年あたり。
コンサートに行きたいと親にせがんだ記憶があります。
昨年、自分が敬愛していた彫刻家が亡くなりました。
Uターンするきっかけの半分はその方との出会いもあるかも。
いろんな方と出会い、見せられたり。話したり。
いつのまにか自分の価値観になっているのかもしれませんね。
表現ってそういうものなのかな?
ありがとうございます。
私の思っていること、いわんとしていることをご理解いただいているようで嬉しいです。
そういう意味で、音楽というのはカタチがなく、美術作品とはまた違います。
より、心的な要素が入ってくるのは当然でもあります。
私にとっての氏は所詮はウォホールのモンローだったかもしれませんが、
音楽はもとより、氏には詩人として敬愛を抱いておりました。
不思議な具合に低調なのは、まだ亡くなったという実感を持てないからでもあります。
非常に頑なで我意な性質のせいか、こういう時には意外に堪えます。
そういう自分に戸惑うというか、まごついているところもあります。
一応、そういうギョーカイの端っこに身を置いておりますが、
昨年亡くなった彫刻家というのはどなたか・・考えております。
戸惑いましょうよ。まごつきましょうよ。
そういう心、動かす事もあったっていいじゃない!
人間だもの。
みつお
さて、yy2828yyさんの仮面が少しずつはがれてきましたね。
マック使い。しかもかなりのてだれとなれば
くりぇいてぶ系か!と思っておりました。
亡くなった彫刻家とは。青森では知ってる人は知っている。
鈴木正治さんという方です。
私のブログの方にもカテゴリを作っております。
顔がくにゃっとしてしまう優しい作品が多いです。
みつお・・は困りますけど、
鈴木正治氏かな、という風に思っているところに、○を付けていただいたようで、
嬉しい限りですが、何ともまた色々謎が深まってしまいました。
Mac使いでOLYMPUSはもっと長い間使っている・・
だけど、クリエイティブというよりは、
能書たれて人の脚を引っ張るだけのヘタレ系だと思いますよ。
鈴木正治さんの名前がでてきて、こちらも驚いております。
自分はただのファンでしかありませんが…
彼と彼の作品とは、東京の小さな画廊にて偶然出会いました。
また、その画廊の女主人はこう言ってました。
「鈴木正治展をやると人が集るんだよね。人気とかじゃなくて。」
人の輪が広がるというか、繋がっていくというか?
鈴木正治さんって不思議です。
彼を通して、いろいろな方々と出会えました。
どの方も一言では語れない、不思議な魅力ある方々ばかりです。
一周忌が過ぎ、ようやく作品の保護や発表のグループもでき
私も微力ながら協力していこうと思っています。
そんなによく知る私ではありませんが、氏は、地元を大切に活動された方だと認識します。
あなたのお蔭で、氏を顕彰するグループが活動していることも知りました。
氏と同じ年に市制が始まった街まで働きに行っていることも、何かの縁なのかという気がします。