昨夜は奇跡のようなものだったと自らをいい聞かせるしかないにしても、夜はまだ救われる状態だといえるでしょう。
殆ど夏という昼間の陽差しにげんなりし、歩行中は日蔭を探すようになっている分、ホッとすることができるようです。
ただ、もうちょっと風が吹いてくれれば‥
イメージだけですが…
殆ど夏という昼間の陽差しにげんなりし、歩行中は日蔭を探すようになっている分、ホッとすることができるようです。
ただ、もうちょっと風が吹いてくれれば‥
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既に繰り言の日々に突入してしまったことを諦めてはいたのですが、只今、とても心地良い、まさに涼風というべき気配が窓から入ってきております。
気温は低ければ低いほどいい、としている私でも、感服させられるほどの今宵の空気感です。
このまま、良質の睡眠が保証されるでしょう。
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気温は低ければ低いほどいい、としている私でも、感服させられるほどの今宵の空気感です。
このまま、良質の睡眠が保証されるでしょう。
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誰かさんと同じで、昨日も今日も「もう、あかん‥」を幾度となく呟いたけれど、のうのうと生きてはおります。
いや、気温よりも湿度が少し高くなると覿面に弱ります。
カメラの黴よりもこっちが先にダメになりそうです。
カラカラの乾燥には強いんですが‥。
そんなわけで今日は完全グロッキー‥せめて少し前の幾分カラッとした雰囲気でも。
イメージだけですが…
いや、気温よりも湿度が少し高くなると覿面に弱ります。
カメラの黴よりもこっちが先にダメになりそうです。
カラカラの乾燥には強いんですが‥。
そんなわけで今日は完全グロッキー‥せめて少し前の幾分カラッとした雰囲気でも。
イメージだけですが…
標準レンズは50mmよりも短めに転ぶのはいいのですが、<PEN-F>用<F.Zuiko38mm>は換算55mmと長めです。
尤も、この年代の標準レンズはPENTAXでもminoltaでも55mmという、むしろ「少し長め」の方が多かったのかも知れません。
ただ、このことに些か勝手の違いを覚えるのは、幾度も書いてきた通りで、未だその感はあります。
咄嗟の立ち位置で誤差を生じるというような慣れの問題が一番大きいのですが、逆に少し短めならあまり不便を感じないのは「このレンズ1本で何もかもやってしまう」という前提で考えた時、気持に余裕が持てるからです。
特に<PEN-F>のように「ほぼ付けっきり」という現状では、少しでも広い方に有り難さを感じるのが私の視界であり、被写体に対する立ち位置となります。
Go ahead, please...
尤も、この年代の標準レンズはPENTAXでもminoltaでも55mmという、むしろ「少し長め」の方が多かったのかも知れません。
ただ、このことに些か勝手の違いを覚えるのは、幾度も書いてきた通りで、未だその感はあります。
咄嗟の立ち位置で誤差を生じるというような慣れの問題が一番大きいのですが、逆に少し短めならあまり不便を感じないのは「このレンズ1本で何もかもやってしまう」という前提で考えた時、気持に余裕が持てるからです。
特に<PEN-F>のように「ほぼ付けっきり」という現状では、少しでも広い方に有り難さを感じるのが私の視界であり、被写体に対する立ち位置となります。
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ピーカンの日が暮れかかる頃にはパラパラと降り出し、翌半日は雨で、夕刻からはまた上がり‥。
そんな日々が多いように思います。
雨の日は自ずと気温が下がりますが、問題はなんとも湿度が高いこと。
このイヤな感じは、防湿庫にないカメラの心配をそれなりにしなければならぬ時季の到来を報せてもいるようです。
私は今までカビを生じさせたことなどないのでが、履歴のあまり定かではない機材も殖えていては、一概に安心もできません。
油断せぬよう、敢えて気を引き締めざるを得ませんね。
イメージだけですが…
そんな日々が多いように思います。
雨の日は自ずと気温が下がりますが、問題はなんとも湿度が高いこと。
このイヤな感じは、防湿庫にないカメラの心配をそれなりにしなければならぬ時季の到来を報せてもいるようです。
私は今までカビを生じさせたことなどないのでが、履歴のあまり定かではない機材も殖えていては、一概に安心もできません。
油断せぬよう、敢えて気を引き締めざるを得ませんね。
イメージだけですが…
涼しいという人が多く、私だってそう感じないでもないけれど、やっぱり日中は大儀です。
明るい光や緑が溢れ、眼に飛び込んできてはシクシクさせられます。
湿気が少なめな分、まだ救われますが、こんな日に歩くのはそれ相応に勇気が要りますね。
イメージだけですが…
明るい光や緑が溢れ、眼に飛び込んできてはシクシクさせられます。
湿気が少なめな分、まだ救われますが、こんな日に歩くのはそれ相応に勇気が要りますね。
イメージだけですが…
今回のお題にはビクッとさせられました。
個人的には好きな切り口です。
お題告知を眼にして、私はすぐに「絵には音が、そして匂いがなければならない」という日本画家・堂本印象(1891-1975)のことばを想いました。
このことば自体は、今から80年も前に発せられたもので、日本的自然観が根幹に示されています。
ただ、音や匂いを意識しながら描いた画家なら、彼以前にも、また東西を問わず少なからずいたはずです。
即ち、絵画にほんとうの生命を与えるため、画面に視覚以外の五感を如何に充備させるかに画家たちは古来腐心してきたともいえるでしょう。
かくして今日のわれわれは、辛苦の果てに産み出された名画の数々をあれこれと想い浮かべることもできるはずです。
尤も、だからといって絵画が総合的芸術とされる映画のようになり得るはずはなく、飽くまでも「画家の優れた表現力が絵の前に立つ観者の視覚以外の感覚に訴えかける」というべきなのですが。
一方で私は、写真はカラーでなく、またようやくトーキーが出現した1930年代との隔世を想わざるを得ないわけです。
そして、果して今のわれわれとは、絵画(たとえ音や匂いに頓着せず描かれた作品であっても)を眼にすれば、何らかの音(音楽)をイメージしないことの方が稀なのではないかと。
同じ視覚芸術だとはいえ、その歴史もはるかに短い写真ではなおさらではないでしょうか
Go ahead, please...
個人的には好きな切り口です。
お題告知を眼にして、私はすぐに「絵には音が、そして匂いがなければならない」という日本画家・堂本印象(1891-1975)のことばを想いました。
このことば自体は、今から80年も前に発せられたもので、日本的自然観が根幹に示されています。
ただ、音や匂いを意識しながら描いた画家なら、彼以前にも、また東西を問わず少なからずいたはずです。
即ち、絵画にほんとうの生命を与えるため、画面に視覚以外の五感を如何に充備させるかに画家たちは古来腐心してきたともいえるでしょう。
かくして今日のわれわれは、辛苦の果てに産み出された名画の数々をあれこれと想い浮かべることもできるはずです。
尤も、だからといって絵画が総合的芸術とされる映画のようになり得るはずはなく、飽くまでも「画家の優れた表現力が絵の前に立つ観者の視覚以外の感覚に訴えかける」というべきなのですが。
一方で私は、写真はカラーでなく、またようやくトーキーが出現した1930年代との隔世を想わざるを得ないわけです。
そして、果して今のわれわれとは、絵画(たとえ音や匂いに頓着せず描かれた作品であっても)を眼にすれば、何らかの音(音楽)をイメージしないことの方が稀なのではないかと。
同じ視覚芸術だとはいえ、その歴史もはるかに短い写真ではなおさらではないでしょうか
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